菅季治(読み)カン スエハル

20世紀日本人名事典 「菅季治」の解説

菅 季治
カン スエハル

昭和期の哲学者 徳田要請問題の証人



生年
大正6(1917)年7月19日

没年
昭和25(1950)年4月6日

出生地
北海道北見

学歴〔年〕
東京文理科大学哲学科卒,京都帝大大学院

経歴
昭和16年4月から17年10月まで旭川師範学校の教諭を務めたあと、京都帝大大学院に進み、在学中の18年11月に応召。幹部候補生の教育を受け、20年2月見習士官として満州へ渡り満州第1224部隊に赴任敗戦ソ連カザフ共和国カラガンダ地区収容所に抑留され、その間主として通訳を務めた。24年に帰国したが、25年に起こった“徳田要請問題”で在外同胞引揚問題に関する参院特別委員会および衆院考査特別委員会の証人として喚問され、ソ連将校のこの問題に関する話を通訳した事実を証言した。「徳田書記長は、諸君が反動分子ではなく、よく準備された民主主義者として帰国するよう期待している」との内容だったことを述べ、この中でロシア語の“ナジェーエッツア”は“要請”でなく“期待”と解するむねを明らかにした。しかし保守派多数の衆参両院委員会からは、菅証人をソ連および日本共産党の工作員、共産主義者として非難され、有形無形圧力を受けた。25年4月5日の衆院考査委の喚問に応じた翌6日、中央線に飛び込み自殺した。遺書には「ソ連帰りの人々に偏見なく接してくれるよう望む」とあり、真実を守り通せなかった無念さが綴られていた。遺著に「語られざる真実」「哲学の論理」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「菅季治」の解説

菅季治 かん-すえはる

1917-1950 昭和時代後期の哲学者。
大正6年7月19日生まれ。応召先の満州(中国東北部)で敗戦をむかえ,ソ連に抑留され,収容所でロシア語の通訳をつとめる。帰国後,在外同胞引き揚げ妨害問題で国会の喚問をうけ,共産主義に共鳴するものとして糾弾され,昭和25年4月6日鉄道自殺した。32歳。北海道出身。東京文理大卒。
格言など】死ぬときには,人類バンザイ! といいながら,死のう(遺書)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「菅季治」の解説

菅 季治 (かん すえはる)

生年月日:1917年7月19日
昭和時代の哲学者
1950年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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