萩原鐐太郎(読み)ハギワラ リョウタロウ

20世紀日本人名事典 「萩原鐐太郎」の解説

萩原 鐐太郎
ハギワラ リョウタロウ

明治・大正期の実業家,政治家 碓氷社社長;群馬県議。



生年
天保14年7月(1843年)

没年
大正5(1916)年7月1日

出生地
上野碓氷郡磯部村(群馬県安中市)

主な受賞名〔年〕
緑綬褒章〔明治26年〕

経歴
明治2年名主となり、戸長、区長など歴任。11年萩原音吉らと養蚕農家の協同組合による碓氷社を創設、18年社長となる。一方、15年に群馬県議に当選、以来10年間にわたって県政界で敏腕をふるい、この間19年には碓氷群長も務める。31年衆院議員に当選したが、すぐ解散したため、以後は碓氷社の改革発展に尽し、蚕糸業界の発展に貢献した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「萩原鐐太郎」の解説

萩原鐐太郎 はぎわら-りょうたろう

1843-1916 明治時代の実業家,政治家。
天保(てんぽう)14年7月生まれ。上野(こうずけ)碓氷郡(うすいぐん)磯部村(群馬県安中市)の養蚕農家に生まれ,27歳で名主となる。明治11年製糸組合碓氷社をつくり,18年社長。生糸改良,製糸業の発展につくした。群馬県会議員をへて,31年衆議院議員。大正5年7月31日死去。74歳。

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世界大百科事典(旧版)内の萩原鐐太郎の言及

【碓氷社】より

…前橋の座繰結社の活動に触発されたこの試みの成功をみて,翌79年には同様な組合が郡内にさらに12現れ,連合して碓氷精糸社(本社原市町)となった。同社は84年碓氷社と改称,翌年萩原鐐太郎が萩原音吉,同茂十郎に続いて社長となったころから急拡大をとげ,1910年に産業組合法による有限責任信用販売組合連合会碓氷社となった時には合計179組(うち県外56組),組合員数約3万という巨大結社であった。各組合員が自宅で繰糸した座繰糸は組ごとに共同揚返しのうえ本社で検査・荷造りして横浜その他へ出荷され,器械糸に劣らぬ価格で売却された。…

※「萩原鐐太郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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