改訂新版 世界大百科事典 「董作賓」の意味・わかりやすい解説
董作賓 (とうさくひん)
Dǒng Zuò bīn
生没年:1895-1963
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…さらに甲骨文の卜辞には殷墟をさすと考えられる〈大邑商〉の記載がある。 中央研究院歴史語言研究所の傅斯年(ふしねん)は,甲骨出土地の確認を兼ねて,安陽の調査を董作賓に命じ,1928年秋,董作賓によって殷墟の第1次調査が開始され,第2次(1929春)調査からは,李済が加わった。第1次から第3次(1929秋)調査は,甲骨文と殷代の遺物を求めての調査で,第4次(1931春)から第9次(1934春)の調査では,集中的に遺構の発掘が行われている。…
… しかも,この安陽の地は,古くから殷の都跡であるという伝承があったため,甲骨文の出土する小屯付近の考古学者による学術的発掘が行われることになり,2万8000余片の甲骨文が発掘されたほか,殷王室の宮殿址や王墓を含む多数の墓や遺物が発見され,殷の歴史研究が飛躍的に進むことになった。特に,従来断片しかなかった甲骨文資料の完全な形態を残した亀甲が発見され,その上に記録された多くの甲骨文を比較して,個々の甲骨文の時代を決定する大綱が董作賓によって発見されたことは,最大の収穫であった。その結果,甲骨文は殷王朝の後期第30代の武丁から最後の帝辛(紂王(ちゆうおう))までのものであり,その間を5期に分けられることが明らかになった。…
…1928年に国立中央研究院歴史語言研究所による安陽殷墟の発掘が開始されて以後,甲骨文に対する研究は飛躍的に発展した。その発展の中心にあったのは董作賓(とうさくひん)であって,彼は31年に〈大亀四版考釈〉を発表して卜辞の中から卜占を主宰する貞人(ていじん)を抽出し,さらに33年には〈甲骨文断代研究例〉によって,殷墟出土の甲骨文を五つの時期に区分して編年できることを示した。五期編年の根幹は,各時期に異なった貞人グループが存在することと,祖先神たちの呼び方(称謂)の変化とであったが,文字自体に関していえば,後期になるほど文字の構造が複雑化することを例証するとともに,書風も時期ごとに変化することを示した。…
※「董作賓」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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