日本歴史地名大系 「葦屋・葦屋津」の解説
葦屋・葦屋津
あしや・あしやのつ
葦屋は遠賀川の河口部、現在の芦屋町中心部にあたる。古代の
寛喜三年(一二三一)四月五日の官宣旨(宗像大社所蔵文書/鎌倉遺文六)によれば、「葦屋津・新宮浜」に打寄せられる難破船の積荷はすべて宗像末社の修理費用に充てられるのが往昔以来の例であったが、近年になって往阿弥陀仏が海上風波の難を避けるために「孤島」を築き、往還する船を助けるようになったため、修理費用が無足になってしまったと宗像社が訴えている。当時の響灘海域における海上交通が活発であったのと同時に交通の難所でもあったことがうかがえる。ところで葦屋津には日本の船ばかりでなく、時に中国や朝鮮などの大陸からの船も直接来航していたものとみられる。建長元年(一二四九)に博多から入宋し、同六年に帰国の途に着いた無本覚心は「鎮西葦屋津」に直接帰着し、そこから日本の船に乗換えて紀伊に向かっている(紀州由良鷲峯山法灯円明国師之縁起)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報