20世紀日本人名事典 「葦津珍彦」の解説
葦津 珍彦
アシヅ ウズヒコ
- 生年
- 明治42(1909)年7月17日
- 没年
- 平成4(1992)年6月10日
- 出生地
- 福岡県福岡市
- 学歴〔年〕
- 福島高商中退
- 経歴
- 左翼学生として高商を退学となるが、頭山満、緒方竹虎、今泉定助らの薫陶を受け、神道に回心。戦前は、神社建築を生業とし、日本の大陸進出、三国同盟、対米開戦などに終始反対の立場をとり、東条政府批判のビラを国会議場でばらまき検挙される。戦後は、「神社新報」の記者・論説委員を務め、民族派運動の理論的指導者として活躍。紀元節問題、靖国神社問題などをめぐり、論客として注目された。昭和37年に「思想の科学」(天皇制特集号)に寄せた論文により、同誌が発行元の中央公論社により廃棄された、いわゆる“思想の科学事件”でも知られる。著書に「日本の君主制」「武士道―戦闘者の精神」「神道的日本民族論」「大アジア主義と頭山満」「みやびと覇権」など。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報