デジタル大辞泉 「武士道」の意味・読み・例文・類語
ぶし‐どう〔‐ダウ〕【武士道】
[補説]書名別項。→武士道
武士が一般に心得ていたという倫理、道徳観や作法を指す。広辞苑には「鎌倉時代から発達し、江戸時代に儒教思想に裏付けられて大成。忠誠、犠牲、礼儀、潔白、情愛などを重んずる」などとある。江戸時代に書かれた「
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広く武士の心組み,生き方を意味する場合と,狭く心組み,生き方の一つの立場を意味して,士道に対する武士道として用いられる場合とがある。
武士が王朝貴族の生き方に対して武士独自の生き方を自覚したとき,〈弓矢とる身の習(ならい)〉という言葉が生まれた。〈弓矢とる身の習〉は〈大将軍の前にては,親死に子討たるれども顧みず弥(いや)が上に死に重なって戦ふ〉(古活字本《保元物語》)ことで,主君への残るところのない献身である。だがまた,戦闘員として名を惜しみ死をいさぎよくすることである。この〈弓矢とる身の習〉は武士社会にその伝統として受け継がれたが,戦国時代において,武士は単に戦闘員であるだけでなく,同時に為政者的性格をもつことになった。下剋上をしのいでその地位を保持しようとする者も,また下剋上の波に乗って主君にとって代わろうとした者も,人心を自己に引きつける指導者的徳性を求めることになった。戦乱がおさまった近世の武士社会に,戦闘員としての心組みの伝統と,指導者的徳性を重んずる伝統とが持ち込まれた。指導者的徳性を重んずる伝統は,近世においては儒教と結びつき,人倫の道の自覚を根本として,人倫の道を天下に実現することを武士の職分とする思想に結晶した。武士のこのようなあり方を説く立場は,一般に士道と呼ばれ,近世の武士社会において主導的な役割を果たした。これに対して,太平の近世に,鎌倉時代以来の死のいさぎよさを重んずる伝統を中核として受け継いだ流れがあり,この傾向が,多くの場合,先の士道に対して武士道と呼ばれた。士道も武士道も武士社会に武士の心組み,生き方として自覚されたものであり,武士の思想としての共通性をもつが,武士道は儒教的な士道に対して批判的な立場をとるものであり,士道が人倫の道の自覚を根本とするのに対して,武士道は死のいさぎよさ,死の覚悟を根本とする。
近世の士道論を代表するのは山鹿素行であり,狭義の武士道論を代表するのは《葉隠》である。まず両者の死に対する姿勢をとり上げると,素行はつねに〈死を心にあて〉るべきだとし,《葉隠》は〈武士道と云は死ぬ事と見付けたり〉という。両者は一見同じことを説いているようにみえる。だが素行の場合は,人間はいつ死ぬかもしれない,だから今の一刻を慎み人倫の道に生きよという意味である。ところが《葉隠》のほうは,事に当たって間髪をいれず死地に突入することを説くものであり,またつねに死と一枚になり死身に徹することを説いたもので,死狂,死身に徹するときに初めてそこに忠も孝もおのずからそなわると考えるものである。武士道論者は,士道論は己の私心を飾り隠す理屈であり,死ぬことにおいてのみ純粋が保たれると説く。太平の時代であるがゆえに,死のいさぎよさが,逆に死狂,死身としていっそう強烈に武士の生活のすべてにわたる心組み,生き方として説かれたといえる。
士道と武士道とは主従関係のとらえ方においても異なる。主君に対する諫言(かんげん)について,士道は諫言をいれない主君,つまり道を実現する可能性のない主君の下にとどまるべきでないという。これに対して武士道では,諫言をいれないときにも,いよいよ主君の味方となり,主君の悪が外部にもれないようにし,主君の悪を己にひきかぶりつつ諫言をつづけるべきであるという。武士道において主君あるいは主家との契りは情的であり絶対的である。
士道においても武士道においても,ともに武士たるものの強み(威厳)が重んじられた。戦国武将はそれぞれ一城の主として相対峙したが,この姿勢は武士一般の基本的な姿勢となった。すなわち武士は,味方朋輩との関係にあっても,精神的にみずからの城郭に立てこもって他者と対峙した。つねに勝負の構えに生きた。武士が矜持(きようじ)を重んじたのも,武士のこの基本的姿勢を理解することによって納得される。武士が相互に一歩もひけをとらないとするところに矜持の根本があった。ところでこのように勝負の構えに生きた武士は,他者に勝つことを求めるが,それは武力的,腕力的に他者を圧することではなく,武士が標榜(ひようぼう)したのは精神的な優位であり,しかも自己に勝つ者が初めて他者に勝つと理解した。士道では人倫の道の自覚に徹するとき,武士道では死の覚悟に徹するとき,おのずから他者を圧する強みが形成されてくるとした。強みは容貌,言語,起居動作においておのずから表現されるべきものである。礼儀正しさも武士の強みの一つの表現であった。武士社会における礼儀の尊重は封建社会の階層的秩序への随順をのみ意味するものではない。〈甲冑ハ辱ム可カラザルノ色ナリ。人ハ礼譲ヲ服シテ以テ甲冑ト為サバ誰カ敢テ之ヲ辱シメン〉という佐藤一斎の言葉は,近世武士社会における礼儀尊重の精神を語るものである。
→武士
執筆者:相良 亨
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
武士の道義的精神を意味するが、古くは「もののふの道」「ますらをの道」、ややくだっては「兵(つわもの)の道」「弓矢の道」「武者の習(ならい)」「弓矢とる身の習」「弓矢とる身の嗜(たしなみ)」、さらにくだっては「侍道(さむらいどう)」「武士の道」「武士道」「士道」などといい、明治以後はほぼ「武士道」に統一されている。バジル・ホール・チェンバレンは、明治の末から大正の初めごろ(20世紀初頭)「新宗教の発見」The Invention of a New Religionと題する論文を書き、武士道は明治以後――それも10年か20年前にようやく知られるようになったもので、それ以前にはinstitution(制度)あるいはcode of rule(道徳律)としてかつて存在したことはなかったと説いた。確かに武士道という語が一般的になったのは1897年(明治30)ごろで、新渡戸稲造(にとべいなぞう)の英文『武士道』がその一つの契機になったとみられる。ところが新渡戸の武士道は、副題に「日本の精神」とあるように、武士を中心とする日本精神一般を説いたもので、狭義における武士の道と同じではなかった。それで新渡戸の『武士道』に触発されて説かれた日本武人の道は明治の産物とみるほかはなく、明治武士道とよんで他と区別したほうが妥当であろう。
しかし、武士道という語を使って日本武人の道を説いた文献は、新渡戸の『武士道』以前にもいくらもあった。戦国時代の末か徳川時代の初め(16世紀中葉~17世紀初め)に成立したと思われる『甲陽軍鑑(こうようぐんかん)』や、享保(きょうほう)期(1716~36)の著作である『葉隠(はがくれ)』や『武道初心集』などはその例である。それで、もっとも固有の意味での武士道はこれらの文献にみいだされ、古代の武人の道は「もののふの道」「ますらをの道」、鎌倉時代の武人の道は「弓矢とる身の習」「弓矢の道」、戦国時代の武人の道は「侍道」「武士の道」などにたどられるとみてよい。
ところで戦国武人の道は、徳川時代の儒者斎藤拙堂(せつどう)によると、「おのずから道に適(かな)ったこともあるけれども、私心偏見を免れないことも多」かった。その一つ二つをいってみると、追腹(おいばら)を切るのを忠としたり、亡命の人をはごくむのを義とする類は、みな孟子(もうし)のいわゆる「不義の義」というもので、もっとも道に背いているのは、切り取り強盗は武士の習いということさえあるに至った。しかしこれでは困るので、「聖人の道をあきらめて、義の至当をもとむるこそ真の士道といふべけれ」といって、聖人の道による士道の確立を拙堂は叫んでいるが、前記の「一つ二つ」の私心偏見は『葉隠』の武士道にもみいだされるところで、その意味で戦国武人の道たる武士道と儒者の説いた士道は、まさに鋭角的に対立する関係にあった。
[古川哲史]
『磯貝正義他校注『改訂甲陽軍鑑』全3巻(1976・新人物往来社)』▽『新渡戸稲造著、矢内原忠雄訳『武士道』(岩波文庫)』▽『山本常朝著、和辻哲郎・古川哲史校訂『葉隠』(岩波文庫)』▽『大道寺友山著、加来耕三訳『武道初心集』(教育社新書)』
新渡戸稲造(にとべいなぞう)の英文著作。原著名『Bushido, the Soul of Japan』。1899年(明治32)アメリカのフィラデルフィアで出版され、翌年日本でも刊行された。彼は武士階級の道徳的あり方を律してきた武士道を「日本の魂」としてとらえ、道徳体系としての武士道が説く義・勇・敢為堅忍の精神、仁・礼・誠・名誉・忠義・克己等々の徳目は、単に武士階級にとどまらず広く人間形成における普遍的規範として西欧におけるキリスト教的な個人倫理に比肩されうるものであると強調している。本書は英語圏国民の間で愛読されたのみでなく、ドイツ語版、ポーランド語版をはじめ7か国語に翻訳された点で、日本人の著作として希有(けう)なものであった。
[田代和久]
『矢内原忠雄訳『武士道』(岩波文庫)』
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近世以降の武士階級独特の倫理。新渡戸稲造(にとべいなぞう)の英文著作「武士道」に代表されるように,武士の道徳そのものをさす言葉として一般化するのは近代に入ってからである。近世ではまだ道徳論の段階であり,戦国期以来の武士の道徳を儒教の論理で裏づけようとする士道論と,その武的な余習を継承しようとする武士道論があった。前者の代表が山鹿素行(やまがそこう)「山鹿語類」の「士道篇」であり,君臣ともに儒教倫理にもとづく振舞いを是とした。後者の代表が山本常朝(つねとも)「葉隠(はがくれ)」で,「武士道とは死ぬ事と見付たり」の言葉が象徴するように,主従関係を中心に善悪・正不正をこえた捨身を強調した。しかし,根底では通じるものがあった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…その意味では,日本の武術,武芸,武技などといわれてきた伝統的な運動文化を,近代になって〈武道〉と呼ぶようになったともいえる。しかし〈武道〉には,歴史的に〈武士道〉という倫理思想的な意味もあり,その意味では,茶道,華道,書道などと同様,日本の伝統的な文化として概念づけることができる。
[武道の語義とその変遷]
武道の語は,武と道が熟して一語となったもので,〈武の道〉あるいは〈武という道〉であり,行為や動作を含む技能を意味する語と道が組み合わされている。…
※「武士道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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