葵町(読み)あおいまち

日本歴史地名大系 「葵町」の解説

葵町
あおいまち

[現在地名]倉吉市葵町

打吹うつぶき山北東麓から外道げどう山北麓に位置した江戸期の武家屋敷地。町名は明治初期の成立とされ、西はなかノ町、北はうお町、東はひがし町。町名は当地に鎮座する賀茂神社紋章にちなむ。慶長一九年(一六一四)里見忠義が倉吉に転封された時の最初の居住地ともいう。元禄(一六八八―一七〇四)頃と推定される倉吉古地図(倉吉町誌)によると、陣屋前広場を挟んで北側に蔵屋敷・材木蔵があり、広場から東に延びる通りの両側およびその南東にかけて武家屋敷が描かれる。寛延(一七四八―五一)頃の倉吉絵図(県立博物館蔵)では下の広しものひろ小路によって材木蔵が消え、東に延びる通りの北側西端に「内御蔵」と記されるが、これは倉吉御蔵のことであろう。

葵町
あおいちよう

[現在地名]西尾市葵町

西尾城の南、須田すだ門から東の丸に向かい、須田町に隣する。この地は、大給松平氏の西尾入部直後に、侍屋敷として開発されたところで、足軽の侍屋敷と百姓屋敷が混在した。奥屋敷おくやしきともよばれた地で、氏神稲荷社は慶長年中(一五九六―一六一五)田中吉政が田畑山林の跡に建てたといわれ、奥屋敷稲荷と称した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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