蓮上院(読み)れんじよういん

日本歴史地名大系 「蓮上院」の解説

蓮上院
れんじよういん

[現在地名]小田原市浜町二丁目

大工だいく町域の東にある。東寺真言宗、花木山満願寺と号し、本尊地蔵菩薩。「風土記稿」は関東三四院の一で、建長六年(一二五四)実証の創建、聖智院と号し、修蔵院を経て文明年間(一四六九―八七)蓮上院と改めたという。蓮昌院・蓮乗院とも記した。勝恵に宛てた永禄六年(一五六三)正月一八日の僧正融山譲状(県史三)に「花木蓮上院雖無縁地候、衆会所之間、大破依嗟敷、令譲与候」とある。

年未詳(永禄一三年頃か)一月八日の北条氏康朱印状(県史三)で護摩料が「蓮昌院 西光院」に下付された。

蓮上院
れんじよういん

[現在地名]高野町高野山

高室たかむろ院東方に房舎があるが、名跡は高室院がもつ。準別格本山。文化一〇年(一八一三)高野山細見絵図では西院さいいん谷の桜池ようち院の北に描かれる。本尊は帆掛不動尊(伝空海作)開基には二説あり、文明五年(一四七三)の諸院家帳は幸祐(伝未詳)とし、当院の院譜では粉河こかわ(現和歌山県粉河町)の丹生屋氏の開基で、一族が代々住職となったとする。中世には非学衆寺で、集会衆寺となった。近世再び学衆寺(学侶方)に入ったという(続風土記)。「続風土記」によれば、院領は当初六〇石、天明年中(一七八一―八九)以降三五石(そのほか本尊供料七石)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報