木食応其(読み)もくじき おうご

美術人名辞典の解説

木食応其

室町後期・安土・桃山時代の高僧・連歌学者。近江生。初名は日斎、字は順良、楚仙と号する。高野山米麦を断ち果実のみで生きる木食苦行を積んだ。豊臣秀吉の信任厚く、高野山の中興に寄与し、また高野山に興山寺を創建した。連歌は里村紹巴に習い、連歌の式目『無言抄』を著わした。寺社造営に功多く、行基の再来といわれた。慶長13年(1608)寂、72才。

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デジタル大辞泉の解説

もくじき‐おうご【木食応其/木喰応其】

[1536~1608]安土桃山時代真言宗の僧。近江(おうみ)の人。字(あざな)は順良。初め武士であったが、高野山で出家し、木の実を食して肉・野菜・米穀を常用しない木食戒を修行。豊臣秀吉の高野山攻略の際に和議を結び、その帰依を受けて高野山を再興した。連歌にもすぐれ、著「無言抄」がある。

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世界大百科事典 第2版の解説

もくじきおうご【木食応其】

1536‐1608(天文5‐慶長13)
近世初頭の僧。興山上人。もと近江出身の武士。1572年(元亀3)高野山で出家し客僧となり,木食苦行して小野,広沢の2法流を受け,また仁和寺任助親王の室に入って阿闍梨位(あじやりい)を得た。85年(天正13)豊臣秀吉と高野山金剛峯寺との間を斡旋して豊臣政権下における高野山の地位を安泰に導き,91年の検地に際し非法が発覚した際にもとりなした。秀吉が深く信任して,“高野の木食”ではなく,木食の高野であると称したことは有名。

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世界大百科事典内の木食応其の言及

【橋本[市]】より

…隅田荘荘官隅田氏は中世には武士団として勢力を伸ばしたが,その氏神とされたのが,人物画像鏡(国宝)で著名な隅田八幡宮である。橋本は天正年間(1573‐92)後期に高野山の木食応其(もくじきおうご)が町場を開き,高野参詣の宿所としたのに始まる。応其は紀ノ川に130間の橋を架け,この地を橋本と名づけたという。…

※「木食応其」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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