薬師寺跡(読み)やくしじあと

日本歴史地名大系 「薬師寺跡」の解説

薬師寺跡
やくしじあと

[現在地名]大津市我孫子

かつての泉穴師いずみあなし神社参道傍ら、現穴師小学校敷地一帯にあった同社神宮寺。穴師堂ともいわれ、近年有志により穴師小学校東側に小堂が建立された。正平六年(一三五一)六月日付の穴師神宮寺寺僧等目安状案(薬師寺文書)によると、本尊薬師如来が宝亀年中(七七〇―七八一)大津おおつ浦に漂着したので草堂を設けて安置、その後漂着した巨木本堂を建立した。以後代々天皇の崇敬を得て勅願寺となり、孝謙天皇の時に一間四面の堂と釈迦三尊・多宝塔を造立、村上天皇の時薬師堂を建立、白河院は丈六の三尊と大日如来・薬師如来を修造、崇徳院の時に阿弥陀如来、二条院の時に五重塔が建てられたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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