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「松尾寺」の意味・読み・例文・類語
まつお‐でら〔まつを‐〕【松尾寺】
大阪府和泉市にある天台宗の寺。山号は、阿弥陀山。弘文元年(672)役の小角が創立、のち、泰澄が中興したと伝える。境内に一ノ谷の戦いの戦死者をまつった首堂がある。松尾観音。
奈良県大和郡山市にある真言宗の寺。山号は、補陀落山。舎人親王の発願により、養老2年(718)永業の開創と伝える。中世以後修験道の寺として栄え、また、江戸時代以降厄除け観音として信仰されている。
まつのお‐でら〔まつのを‐〕【松尾寺】
京都府舞鶴市にある真言宗醍醐派の寺。山号は、青葉山。西国三十三所第29番札所。開創は、寺伝によれば慶雲年間(704~708)、唐僧威光の開山。本尊は馬頭観音で、養老年間(717~724)に泰澄が奥院を開いた。現在の本堂は細川幽斎の再建。絹本着色の普賢延命像は国宝。
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まつお‐でらまつを‥【松尾寺】
- [ 一 ] 滋賀県愛知郡秦荘町にある天台宗の寺、金剛輪寺の通称。まつおうじ。
- [ 二 ] 京都府舞鶴市松尾にある真言宗醍醐派の寺。山号は青葉山。慶雲年間(七〇四‐七〇八)開創。開基は威光。本尊は馬頭観世音菩薩。絹本着色普賢延命像は国宝。西国三十三所の第二九番札所。まつのおでら。まつのおじ。
- [ 三 ] 奈良県大和郡山市山田町にある真言系単立寺院。山号は補陀落山。養老二年(七一八)舎人(とねり)親王が日本書紀編纂完成と四二歳の厄除(やくよけ)とを祈願して創建。開山は永業。本尊の千手千眼観世音菩薩は厄除観音と呼ばれる。まつのおでら。西松尾寺。
- [ 四 ] 香川県仲多度郡琴平町にある高野山真言宗の寺。山号は象頭山。大宝元年(七〇一)役小角の創建と伝える。守護神の金毘羅が垂迹思想によって金毘羅権現として信仰され、明治時代の神仏分離のさいに金刀比羅宮が成立。
まつのお‐でらまつのを‥【松尾寺】
- [ 一 ] 大阪府和泉市にある天台宗の寺。山号は阿彌陀山。天武天皇元年(六七二)役小角(えんのおづの)が創建したと伝えられる。泰澄が中興。南北朝時代大塔宮と結び南朝に味方した。天正九年(一五八一)織田信長の兵火に焼かれたが、豊臣秀頼らが再興。松尾観音。
- [ 二 ] ⇒まつおでら(松尾寺)
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松尾寺
まつおでら
[現在地名]和泉市松尾寺町
東松尾川・松尾川流域の松尾谷と、槙尾川流域の池田谷とを分ける丘陵上に位置する。天台宗に属する古刹で、阿弥陀山と号し、本尊は如意輪観音。和泉霊場第七八番札所、和泉西国第二一番札所。
当寺の草創は「泉州松尾寺記」によれば、天武天皇元年(六七二)役小角が当地で七日間修法し、霊材を得て如意輪を刻んだのに始まるとされ、次いで泰澄が中興し、三所権現を祀ったという。もとより伝承の域を出るものではないが、当寺は葛城修験の一霊場として出発したのではないかとも考えられる。「続日本紀」延暦元年(七八二)七月二一日条には「松尾山寺僧尊鏡」が生年一〇一歳の長寿の故をもって大法師に叙位された記事がみえるが、松尾寺は大和・山城国にもあり、当寺と断定することは困難であろう。河内国河内郡の人沙弥尋祐は出家ののち松尾山寺に移住し、入滅に際し夜中に大いなる光が輝く奇瑞を示した話が「日本往生極楽記」「今昔物語集」巻一五に伝えられている。このように当寺の奈良・平安時代は伝承が伝わるにすぎないが、すでに人々に広く知られた寺であったといえよう。なお尋祐は鎌倉時代前期には、当寺の建立者とされている(貞応元年八月八日「官宣旨」松尾寺文書。以下とくに断らない限り引用文書は松尾寺文書)。
鎌倉時代以後の歴史は、当寺に伝えられている約九〇通の文書(府指定文化財)によってあとづけることができる。その最古のものは、元暦二年(一一八五)正月二二日付の源義経安堵状案で、「春木御庄内観音寺」と所見。次いで某年三月二八日付で源頼朝は「わか御きたうところ」の「まつのをのみやまてら」に対する煩を禁じている。この文書の真偽にはやや疑問が残るとされるが、鎌倉時代当寺は確かに幕府の祈願所となっていた(元徳二年八月一二日六波羅探題御教書など)。ついで貞応元年(一二二二)には当寺の申請に任せて、長老上座をもって真言供養法を修する灌頂有職に補することが朝廷より認められている(前掲官宣旨)。鎌倉時代前期には顕密二法を修する寺として、和泉国中はもとより朝廷や幕府の信仰を受けていたことを知ることができる。
永仁二年(一二九四)の頃、当寺の東側池田庄上方箕田村の沙汰人・名主・百姓らが、当寺領の山林荒野を申請して、梨子本池の上に新池を築造し、新田三町を当寺に寄進し、山門東塔北谷荘厳講法式を当寺に遷伝してその料田とした。
松尾寺
まつのおでら
[現在地名]舞鶴市字松尾
青葉山南西麓にある。西国三十三所観音霊場第二九番札所。慶雲―和銅年間(七〇四―七一五)の創建で、開山は威光と伝える。山号青葉山、真言宗醍醐派。本尊馬頭観世音菩薩。
草創についてはつまびらかでないが、徳治三年(一三〇八)成立の縁起(願文か)写や大永四年(一五二四)成立の丹後国青葉山松尾寺縁起があり、後者の伝えでは、平安中期の正暦年間(九九〇―九九五)に再建したという。同縁起によればその頃青葉山北麓の一漁師春日為光が海難に遭遇し、一浮木で助かった。海辺に漂着の後、
<資料は省略されています>
と、為光がわが国の馬頭観音の総本地と称される本尊を造像したと記す。近世の旧語集も同様の縁起を記すが、多少の異同が認められる。
寺伝によれば鳥羽法皇・美福門院の崇敬厚く、時の惟尊上人に勅して伽藍および一五宇の坊舎を再建せしめたといい、封戸・田地を付したという。前天台座主行尊の三十三所巡礼手中記(寺門伝記補録)に一六番松尾寺が記され、久安六年(一一五〇)の長谷僧正の参詣次第(塵添嚢鈔)に二八番としてみえるなど、すでに平安末期には観音霊場の一として知られていたことがわかる。
松尾寺
まつおでら
[現在地名]大和郡山市山田町
矢田丘陵松尾山中腹、奈良盆地を一望する景勝地にある単立寺院。補陀洛山と号し、中世には西松尾寺といった。本尊千手観音立像。松尾寺の根本縁起といわれる天平宝字元年(七五七)の松尾寺縁起(寺蔵、室町中期頃の書写といわれる)には、「在大和国添下郡、四至限東泉郷界、限南前大谷、限西平郡峰山道、限北烏道并坂倉峰、葺檜皮七間金堂 壱宇 右一品贈太政大臣倉人親王施入者、捌尺千手観音像 一躯木像 右修行大禅師位永業自願持仏也(中略)右寺、一品贈太政大臣倉人親王与斑鳩寺永業為師檀」とある。
松尾寺
まつおじ
[現在地名]穂高町大字有明 古厩
医王山常楽院と称し、高野山真言宗。本尊薬師如来像。古厩の西方、富士尾山の北西麓にある。
初め等々力(現穂高町)の真竜院(醍醍寺三宝院末)末であったが、寛政九年(一七九七)以降醍醐寺三宝院の真末になった。「信府統記」によると、中興の開基を仁科盛政とし、大永八年(一五二八)の建立としているが、開基は仁科氏の支族であった古厩氏(平兵衛盛兼か)である。
松尾寺
しようぶじ
[現在地名]大島町大字東三蒲 寺家
文珠山の北西中腹、寺家の地にあり、臨済宗天龍寺派。万年山と号し、本尊は聖観音菩薩。
寺伝によれば、もとは真言宗で、弘法大師求聞持法修行の霊場とされたこの地に、朱雀院の時、基燈が一寺を建立したのに始まると伝える。基燈は「元亨釈書」に「周州大島郡人、苦修練行持戒慈悲誦法華毎日三十余部、眼耳通利見聞数十里、世曰得六根浄死時年一百四拾余歳、顔貌如三十許人」とあり、山岳宗教者で、当寺は山岳霊場寺院として成立したと考えられる。
その後の詳細は不明であるが、「注進案」によれば、寺の建立地が高山であったために住職となる者がなく退転したが、元久年中(一二〇四―〇六)竺岩という僧が堂を再建したという。
松尾寺
まつおじ
[現在地名]琴平町琴平
金山寺山の北麓に位置し、普門院と号する。高野山真言宗、本尊は釈迦如来。普門院は滝寺の十一面観音を本尊として金光院の近くにあったが、維持が困難になって寛永一五年(一六三八)に本尊を金光院に譲り、金光院の塔頭となって滅罪寺としての業務を担当していた(金刀比羅宮史料)。神仏分離で明治二年(一八六九)三月金光院から分れ、代々の尊牌を委託されて香花料として徳米一〇石の田地を与えられた。同年五月、京都仁和寺内皆明寺に願って仁和寺直末となる。
松尾寺
まつおじ
[現在地名]米原町上丹生
天台宗。普門山と号し、本尊は不空羂索観音。役行者が開いたと伝え、また「木間攫」には「伊吹山ノ所ニ云ヘル飛行上人ノ近仕三童子ノ内松尾童子ノ開基セシ寺ナリト云」とある。「興福寺官務牒疏」によれば、霊山寺七ヵ別院の一つであった。江戸時代は天台宗で、「木間攫」に「此寺中ノ観音霊験掲焉ク、衆人信向ス」とあり、「江左三郡録」には現存坊舎九・無住坊舎九・坊舎のみ残るもの二と記される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
松尾寺(まつおでら 奈良県)
まつおでら
奈良県大和郡山(やまとこおりやま)市山田町松尾山にある真言(しんごん)宗の寺。山号は補陀落山(ふだらくさん)。通称松尾山(まつのおさん)。本尊は十一面千手(せんじゅ)千眼観音菩薩(かんのんぼさつ)。718年(養老2)舎人(とねり)親王が元正(げんしょう)天皇の勅命で『日本書紀』30巻、『系譜』1巻を編集するにあたり、成就(じょうじゅ)祈願のため永業(ようごう)が開創した勅願寺だと伝えられる。中世以後、修験道(しゅげんどう)の寺として栄えたので修験関係の資料を多数所蔵する。また本尊の千手観音像(鎌倉時代、国重要文化財)は厄除(やくよけ)観音として信仰を集め、満願の日が初午(はつうま)の日であったためいまも初午大祭には「まつのおさん詣(まい)り」と称して全国からの参拝者でにぎわう。現在は本堂(室町時代、重文)、大黒堂、三重塔などがある。木造十一面観音立像(平安中期)、木造大黒天立像(鎌倉時代)、絹本着色阿弥陀(あみだ)聖衆来迎図(鎌倉時代、以上重文)、金銅装山伏笈(おい)(室町時代、県文化財)などがある。なお鎮守松尾山神社は京都の松尾大明神を勧請(かんじょう)したものである。
[宮坂宥勝]
『『古寺巡礼 奈良16 松尾寺』(1980・淡交社)』
松尾寺(まつのおでら 京都府)
まつのおでら
京都府舞鶴(まいづる)市字松尾の青葉山の中腹にあり、真言(しんごん)宗醍醐(だいご)派に属する寺。青葉山または扶桑(ふそう)馬耳山と号する。本尊は馬頭観音(ばとうかんのん)。西国三十三所第29番札所。寺伝によれば、慶雲(きょううん)年間(704~708)に威光が草庵(そうあん)を結んで馬頭観音を安置し、養老(ようろう)年間(717~724)に泰澄(たいちょう)がきて奥の院を造営したといわれる。ついで正暦(しょうりゃく)年間(990~995)春日(かすが)為光が馬頭観音を刻み、1119年(元永2)には惟尋(いじん)が七堂伽藍(がらん)を造営した。のち織田信長の兵火で焼失したが、1579年(天正7)に国守細川幽斎(ゆうさい)が本堂を再建し、江戸時代にも堂舎の造営が行われた。現在、本堂(大悲殿)、大師堂、仁王(におう)門などがあり、寺宝に絹本着色の普賢延命(ふげんえんめい)像(国宝、平安後期)、絹本着色孔雀(くじゃく)明王像(鎌倉時代)、絹本着色法華曼荼羅(ほっけまんだら)図、木造阿弥陀如来坐像(あみだにょらいざぞう)(以上、国重要文化財)などがある。5月8日に「仏舞(ほとけのまい)」が行われる。
[勝又俊教]
松尾寺(まつおでら 大阪府)
まつおでら
大阪府和泉(いずみ)市松尾寺(まつおじ)町にある天台宗の寺。山号は阿弥陀山(あみださん)。本尊は如意輪観音菩薩(にょいりんかんのんぼさつ)。通称松尾観音。672年(弘文1)弘文(こうぶん)天皇の勅願により役小角(えんのおづぬ)が創立、のち越前(えちぜん)(福井県)の僧泰澄(たいちょう)が諸堂を建立して中興し、仁明(にんみょう)天皇のときに定額寺(じょうがくじ)となったと伝える。南北朝時代から室町時代にかけての盛時には、口伝(くでん)によれば寺領7000石、308の僧房をもち僧兵も有し、南朝に味方して活躍したという。1581年(天正9)織田信長の兵火により全山焼失したが、のち豊臣秀頼(とよとみひでより)が四天王寺の阿弥陀堂を移建したのが現在の本堂である。寺宝には、紙本墨書如意輪陀羅尼経(だらにきょう)、後亀山(ごかめやま)天皇宸筆(しんぴつ)の紙本墨書宝篋印(ほうきょういん)陀羅尼経、絹本着色孔雀明王曼荼羅(くじゃくみょうおうまんだら)(いずれも国重要文化財)などを蔵する。また境内には源平一ノ谷合戦の戦死者の首級を葬った首堂がある。
[中山清田]
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松尾寺
まつおでら
京都府舞鶴市にある真言宗の寺。西国三十三所第 29番目の札所。慶雲1 (704) 年に唐の僧威光が馬頭観音像 (本尊) を安置したのが起源とされる。後鳥羽天皇の勅願所となるが,戦国時代に細川幽斎の兵火にあい,本堂は天正9 (1581) 年に細川幽斎によって再建された。寺宝の『普賢延命 (ふげんえんめい) 像』 (平安時代) は国宝。絹本着色による藤原式仏画の典型的作例とされ,尊容は一面二臂,右手に金剛杵 (こんごうしょ) ,左手に金剛鈴 (こんごうれい) を持ち,3つの頭のあるゾウに乗る姿。このほか,『孔雀明王像』,快慶作『阿弥陀坐像』を所蔵し,ともに重要文化財。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
松尾(まつのお)寺
京都府舞鶴市にある寺院。真言宗醍醐派。山号は青葉山または扶桑馬耳山。慶雲年間(704~708)の開山と伝わる。本尊は座像馬頭観世音菩薩。西国三十三所第29番札所。5月に奉納される「仏舞(ほとけまい)」は国の重要無形民俗文化財に指定。
松尾寺〔奈良県〕
奈良県大和郡山市山田町、松尾山にある寺院。真言宗。山号は補陀落(ふだらく)山。大和松尾寺ともする。舎人親王が「日本書記」の編纂にあたり、成就祈願のため開創したと伝わる。本尊の千手千眼観音像(重文)は厄除け観音として名高い。
松尾寺〔長野県〕
長野県安曇野市にある高野山真言宗の寺院。本尊は薬師如来。1528年に建てられたとされる本殿は国の重要文化財に指定されている。
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出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報