日本大百科全書(ニッポニカ) 「藤原定実」の意味・わかりやすい解説
藤原定実
ふじわらのさだざね
生没年未詳。平安後期の公卿(くぎょう)、能書。藤原伊房(これふさ)の長男で、世尊寺(せそんじ)流の祖行成(ゆきなり)から数えて4代目の当主。1077年(承保4)侍従に任ぜられ、その後、近衛(このえ)少将、右京大夫、土佐権守(ごんのかみ)を歴任したが、官位の昇進は振るわず、従(じゅ)四位上・土佐権守にとどまった。これは、父伊房の大宰大弐(だざいのだいに)時代の失態によるが、さすが名門の当主として、幅広い能書活動を展開している。1102年(康和4)尊勝寺落慶供養の際の願文の清書、08年(天仁1)鳥羽(とば)天皇大嘗会(だいじょうえ)のときの悠紀主基屏風(ゆきすきびょうぶ)の色紙形(しきしがた)の揮毫(きごう)、12年(天永3)白河(しらかわ)法皇の逆修供養の際の願文の清書など、当時の能書の第一人者にふさわしい広い活躍をみせた。今日、署名のある遺品は残らないが、「元永(げんえい)本古今集」(東京国立博物館)をはじめ、「本願寺本三十六人家集(貫之(つらゆき)集上・人麿(ひとまろ)集)」「巻子本古今集」などの一群の古筆が、定実の筆になることが推定されている。
[神崎充晴]