朝日日本歴史人物事典 「藤原敦忠」の解説
藤原敦忠
生年:延喜6(906)
平安中期の公卿,歌人。三十六歌仙のひとり。枇杷中納言,また本院,土御門とも号した。左大臣藤原時平の3男だが,政治家としてよりもむしろ風流貴公子として名を残す。醍醐・朱雀朝に主として活躍し,『大鏡』では「よにめでたき和歌の上手,管弦の道にもすぐれ給へり」と評され,多くの逸話を残す。代表歌は百人一首にとられた「逢ひみてののちの心にくらぶれば昔はものを思はざりけり」など。恋歌にすぐれ,多くの女性たちと交渉をもったが,なかでも斎宮雅子内親王との恋は有名で,家集『敦忠集』の中核をなしている。38歳で死去。自分の短命を予感していたといわれ,その早い死が惜しまれた。<参考文献>『敦忠集注釈』
(安隨直子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報