藤原敦忠(読み)ふじわらのあつただ

朝日日本歴史人物事典 「藤原敦忠」の解説

藤原敦忠

没年天慶6.3.7(943.4.14)
生年延喜6(906)
平安中期の公卿,歌人三十六歌仙のひとり。枇杷中納言,また本院,土御門とも号した。左大臣藤原時平の3男だが,政治家としてよりもむしろ風流貴公子として名を残す。醍醐・朱雀朝に主として活躍し,『大鏡』では「よにめでたき和歌上手,管弦の道にもすぐれ給へり」と評され,多くの逸話を残す。代表歌は百人一首にとられた「逢ひみてののちの心にくらぶれば昔はものを思はざりけり」など。恋歌にすぐれ,多くの女性たちと交渉をもったが,なかでも斎宮雅子内親王との恋は有名で,家集『敦忠集』の中核をなしている。38歳で死去。自分の短命を予感していたといわれ,その早い死が惜しまれた。<参考文献>『敦忠集注釈』

(安隨直子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原敦忠」の解説

藤原敦忠 ふじわらの-あつただ

906-943 平安時代中期の公卿(くぎょう),歌人。
延喜(えんぎ)6年生まれ。藤原時平の3男。母は在原棟梁(むねはり)の娘。天慶(てんぎょう)2年参議。5年権(ごんの)中納言,従三位にいたる。枇杷(びわ)中納言,本院中納言とよばれた。三十六歌仙のひとりで,「後撰和歌集」以下の勅撰集に30首がはいる。管弦にもすぐれた。天慶6年3月7日死去。38歳。家集に「敦忠集」。
格言など】逢ひ見ての後の心に比ぶれば昔は物を思はざりけり(「小倉百人一首」)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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