藤原温子 (ふじわらのおんし)
生没年:872-907(貞観14-延喜7)
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
Sponserd by 
藤原温子
没年:延喜7.6.8(907.7.20)
生年:貞観14(872)
平安時代前期の宇多天皇女御。七条皇后,東七条皇后とも。「よしこ」とも。藤原基経と操子女王の子。阿衡の紛議のさなか,仁和4(888)年入内。嫡后の居所弘徽殿に入る。これにより宇多天皇と基経は和解した。寛平2(890)年均子内親王を生む。寛平5年正三位。寛平9(897)年宇多天皇譲位により醍醐天皇継母として皇太夫人になる。中宮を称す。東五条堀川院,朱雀院,東七条宮などに住む。延喜5(905)年出家。和歌の才能に優れ当時の歌壇の中心的存在だった。歌人の伊勢は温子の女房。
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
Sponserd by 
藤原温子 ふじわらの-おんし
872-907 平安時代前期,宇多天皇の女御(にょうご)。
貞観(じょうがん)14年生まれ。藤原基経(もとつね)の3女。母は操子女王。阿衡(あこう)の紛議収拾策として,仁和(にんな)4年(888)入内(じゅだい)。均子内親王を生み,正三位にいたる。醍醐(だいご)天皇の養母となり,その即位で皇太夫人とされ中宮(ちゅうぐう)を称した。七条后,東七条后とよばれる。延喜(えんぎ)7年6月8日死去。36歳。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
Sponserd by 
藤原温子
ふじわらのおんし
[生]貞観14(872)
[没]延喜7(907).6.8. 京都
宇多天皇の女御。基経の娘。別称,七条中宮,東七条院など。仁和4 (888) 年入内し女御となった。醍醐天皇の養母のため,寛平9 (897) 年皇太夫人となり中宮と称した。延喜5 (905) 年出家。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
Sponserd by 