朝日日本歴史人物事典 「藤原長能」の解説
藤原長能
生年:天暦3?(949)
平安時代の歌人。「ながよし」と読む説もある。父は藤原倫寧,母は刑部大輔源認 の娘。藤原道綱母の弟。蔵人などを経て従五位上伊賀守に至る。歌人として多くの歌合に出詠。特に花山天皇には,その出家後も側近として仕え,『拾遺集』の編集にも関与したと考えられている。能因の和歌の師となったが,これはのちに,歌道における師資相承のはじまりとされた。藤原公任に自作を非難され,病を発して死去したとの説話も伝えられる。その歌風には技巧にとらわれない清新なものがあり,次代の新風への道を開いたとされる。『拾遺集』以下の勅撰集に52首が入集。
(山本登朗)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報