デジタル大辞泉
「藤原頼業」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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ふじわら‐の‐よりなり【藤原頼業】
- 平安末期の歌人。為忠の子。出家して寂然と号した。兄弟の寂念、寂超と大原に隠栖して常磐(大原)三寂と称された。西行と親交があった。家集や詠作に「寂然法師集」「法門百首」「唯心房集」などがあり、釈教歌や今様なども多く収められている。生没年未詳。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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藤原頼業 (ふじわらのよりなり)
平安末期の歌人。生没年不詳。1118年(元永1)ころ生まれ,82年(寿永1)には生存。為忠の子。勅撰集には《千載集》に初出。蔵人,左近将監を経て1148年壱岐守,次いで出家して大原に住み,唯心房寂然(ゆいしんぼうじやくねん)と号した。大原の三寂(常磐(ときわ)の三寂)の一人。寂超とともに大原の縁忍から止観を習い,仏道に深く心をひそめたが,和歌や今様を好み,西行と親しかった。家集に《唯心房集》,経文に基づいて詠歌した《法門百首》などがあり,歌人として声望は高かった。〈秋は来ぬ年も半ばに過ぎぬとや荻吹く風の驚かすらん〉(《千載集》)。
執筆者:井上 宗雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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藤原頼業
没年:没年不詳(没年不詳)
生年:元永頃(1118~20)
平安時代の歌人。常盤丹後守為忠の4男。従五位下壱岐守に至るが,久寿(1154~56)以前に出家。寂然(唯心房とも)と称し,兄の為業(寂念),為経(寂超)と共に常盤三寂(大原三寂)と呼ばれた。大原で隠遁生活を営み,西行と親しく交際した。保元の乱(1156)後から長寛2(1164)年までの間に,讃岐に流された崇徳上皇を訪ねたこともある。家集に『唯心房集』『寂然法師集』があるほか,『法門百首』がある。常盤三寂のなかでは最も評価が高い。隠逸的傾向が強く,信仰に裏付けられた閑寂な境地を切り開いた。<参考文献>井上宗雄『増補版・平安後期歌人伝の研究』
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の藤原頼業の言及
【唯心房集】より
…唯心房寂然(じやくねん)(俗名[藤原頼業](よりなり))の家集。平安末期。…
※「藤原頼業」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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