デジタル大辞泉 「寂然」の意味・読み・例文・類語
せき‐ぜん【寂然】
「天地は―として静である」〈菊池寛・忠直卿行状記〉
[類語]静か・
生没年未詳。平安末期の歌人。「じゃくぜん」ともよぶ。俗名藤原頼業(よりなり)。父は正四位下丹後守(たんごのかみ)藤原為忠(ためただ)、母未詳。兄為業(ためなり)(寂念)、為経(ためつね)(寂超)はともに歌人で、大原(常磐(ときわ))三寂と称された。生年は1118年(元永1)ころと推定され、最終事蹟(じせき)は1182年(寿永1)の「寿永(じゅえい)百首」家集編纂(へんさん)である。近衛(このえ)院東宮の時の蔵人(くろうど)等を務めるが、1143年(康治2)以後まもなく出家、唯心房(ゆいしんぼう)寂然と号して大原に隠棲(いんせい)した。歌人として公的な場への出詠はほとんどないが、西行(さいぎょう)と親しく、歌風も西行に通うものがあり、自然詠、釈教歌に優れるほか、今様(いまよう)の作もある。家集数種のほか『法門(ほうもん)百首』がある。『千載集』以下に入集(にっしゅう)。
[川上新一郎]
ことしげき世をのがれにしみ山べにあらしの風も心してふけ
『井上宗雄著『平安後期歌人伝の研究』(1978・笠間書院)』
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…平安末期,藤原為忠の子藤原為業・藤原為経・藤原頼業の三兄弟の称。三者は官仕を辞して出家し,それぞれ寂念・寂超・寂然と称し,歌人として活躍,のち三寂と称せられた。寂超・寂然は大原に住んだが,寂念が大原に住んだ証はなく,父の別荘のあった地にちなみ常磐の三寂と呼ぶほうがよいとする説もある。…
…勅撰集には《千載集》に初出。蔵人,左近将監を経て1148年壱岐守,次いで出家して大原に住み,唯心房寂然(ゆいしんぼうじやくねん)と号した。大原の三寂(常磐(ときわ)の三寂)の一人。…
…唯心房寂然(じやくねん)(俗名藤原頼業(よりなり))の家集。平安末期。…
※「寂然」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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