20世紀日本人名事典 「藤島了穏」の解説 藤島 了穏フジシマ リョウオン 明治・大正期の僧侶 西本願寺勧学。 生年嘉永5年8月15日(1852年) 没年大正7(1918)年11月12日 出生地近江国(滋賀県) 学歴〔年〕西本願寺西山教授校卒 経歴近江国金法寺の住職の子として生まれ、西本願寺の西山教授校に学ぶ。同校卒業後、第21世西本願寺宗主・大谷光尊の命を受けて上京、法律を修め、13年より寺法の編纂に従事した。ついで15年から約7年間に渡ってフランスに留学。この間、義浄の「南海寄帰内法伝」をフランス語に翻訳し、フランス政府から勲章を授けられた。帰国後は西本願寺の寺務に携わり、司教を経て43年勧学に就任。著書は他に「三国仏法伝通縁起摘解」などがある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤島了穏」の解説 藤島了穏 ふじしま-りょうおん 1852-1918 明治-大正時代の僧。嘉永(かえい)5年8月15日生まれ。浄土真宗本願寺派。明治15年フランスに留学し,義浄の「南海寄帰内法伝」をフランス語訳。のち西本願寺の執行をつとめ,43年勧学となった。大正7年11月12日死去。67歳。近江(おうみ)(滋賀県)出身。西本願寺西山教授校卒。号は胆岳。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by