藤田郷
ふじたごう
「和名抄」にみえる榛沢郡藤田郷を継承したとみられる中世郷。荒川左岸の現寄居町藤田を遺称地とするが、この地は幕末に成立したと考えられる男衾郡藤田村の旧地で、郷域は判然としないが、平安後期以降猪俣党藤田氏が荒川左岸の花園城(現寄居町)を居城としていたといわれ、その本貫地であった可能性もある。貞記并別記(醍醐寺蔵)の奥書には応安七年(一三七四)一二月二三日に「賜藤田郷針加野弘光寺御本書写畢」とあり、針加野(現岡部町針ヶ谷)が藤田郷に含まれている。
藤田郷
ふじたごう
「和名抄」所載の郷。諸本ともに訓を欠くが通例に従う。現栃木県日光市輪王寺蔵の大般若経巻第四〇一の奥書に、応永三年(一三九六)一〇月一八日に「榛沢郡藤田郷極楽寺」で書写したとある。この極楽寺は現寄居町の藤田にあり、当郷の遺称地とみられる。
藤田郷
ふじたごう
「和名抄」所載の郷で、訓を欠く。「白河古事考」は「今石川郡中野村に藤田城あり、鴫山ともいひ、石川源太有光が嫡子、遠江守光祐、始て此墟に居る、康平七年なり」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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