藻原寺(読み)ソウゲンジ

デジタル大辞泉 「藻原寺」の意味・読み・例文・類語

そうげん‐じ〔サウゲン‐〕【藻原寺】

千葉県茂原市にある日蓮宗の寺。山号は常在山。開創は建治2年(1276)、開山日蓮開基は斎藤兼綱。東身延とも称される。

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精選版 日本国語大辞典 「藻原寺」の意味・読み・例文・類語

そうげん‐じサウゲン‥【藻原寺】

  1. 千葉県茂原市茂原にある日蓮宗の寺。山号は常在山。建治二年(一二七六)日蓮の弟子日向(にこう)を開山に斎藤兼綱が創建し、常楽山妙光寺と称した。天正一九年(一五九一)現名に改称

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日本歴史地名大系 「藻原寺」の解説

藻原寺
そうげんじ

[現在地名]茂原市茂原

元山もとやまにある日蓮宗寺院。常在山と号し、本尊は多宝塔様式の木像十界曼荼羅。中世には妙光みようこう寺と称された。寺伝によると、鎌倉時代中期に日蓮が安房から藻原もばらに来た時、藻原の領主斎藤兼綱から館の一部を提供され、そこで布教を行い、建長五年(一二五三)には兼綱が仏堂を造り、日蓮は榎本えのもと庵と命名する。建治二年(一二七六)には本堂が建立され、日蓮は日向に落成法要を行わせ、常楽山妙光寺と称したという。日向は正応元年(一二八八)に身延山久遠くおん寺に移って同寺二世となったため日秀が妙光寺に入り、のち四〇余年を経て、日秀が上京の際に後醍醐天皇から常在院の号を与えられたことにより、山号を常在山としたという(「本化別頭仏祖統記」など)

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世界大百科事典(旧版)内の藻原寺の言及

【日向】より

…鎌倉時代の日蓮宗の僧。日蓮の直弟,身延山久遠(くおん)寺第2世。上総国茂原(千葉県)小林氏の出身と伝える。佐渡阿闍梨(あじやり)と称した。1276年(建治2)日蓮の旧師,安房清澄寺道善房死去のおりには,日蓮の書いた《報恩抄》をその墓前で代読した。82年(弘安5)日蓮が本弟子として指定した6人(六老僧)のうちにも加えられている。日蓮没後,その廟所である甲斐身延に登り,日興(につこう)とともに廟所に給仕し,学頭として門下の教育に当たったが,日興が日蓮在世以来の信奉者波木井(はきい)氏の信仰のあり方を批判して88年(正応1)身延を離山した後,身延の経営に当たった。…

※「藻原寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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