蘭村(読み)あららぎむら

日本歴史地名大系 「蘭村」の解説

蘭村
あららぎむら

[現在地名]南木曾町吾妻あづま

木曾川に注ぐ蘭川の峡谷にある山村で、中山道から分れて妻籠つまごから飯田いいだへ通ずる飯田道に沿って、道下みちしたおこし上段うわだん・ずんね・古川ふるかわ鹿しま大島おおしま中折なこれ広瀬ひろせの九つの集落が散在していた。東は木曾山脈を隔てて伊那郡に境し、南の湯舟沢ゆぶねさわ村、北の川とも山を境にするが西は蘭川の渓谷沿いに開けて妻籠村と境する。

広瀬は最も早く開けた所といい、天文二年(一五三三)の山城醍醐寺理性院厳助の「信州下向記」(醍醐寺三宝院蔵)に、妻籠とともに広瀬が出てくる。「自妻子被申付広瀬者五人送来也、又広瀬ヨリ送挙状有之」とあり、木曾氏の一族妻籠氏と並んで、伊那への押えとして、清内路せいないじ峠と大平おおだいら峠への道の追分である広瀬に広瀬氏が館を構えていたことがうかがわれる。


蘭村
あららぎむら

[現在地名]下山村東蘭ひがしあららぎ

ともえ川の支流郡界ぐんかい川の上流右岸に位置し、東は小松野こまつの村、南から西へかけて額田郡蘭村、北は大沼おおぬま村に接する。集落は小起伏面上の山麓点在。国道三〇一号、県道東蘭―鍛埜線が通る。寛永一二年(一六三五)当時、刈谷の松平忠房領三一石余、岡崎の本多忠利領七二石余の相給村であった(参河国新二葉松)。その後、時期・理由は不詳であるが、松平家領分は加茂郡、本多家領分は額田郡に編入され、いずれも蘭村と称した。


蘭村
あららぎむら

[現在地名]下山村蘭

ともえ川の支流郡界ぐんかい川の上流左岸に位置し、東から南にかけて現額田ぬかた郡額田町、西は田代たしろ村・上田代かみたしろ村、北は大沼おおぬま村に接する。集落は小起伏面上の山麓に点在。国道三〇一号と県道東蘭―鍛埜線が通る。寛永一二年(一六三五)当時は加茂郡に編入されており、刈谷の松平忠房領三一石余、岡崎の本多忠利領七二石余の相給村であった(参河国新二葉松)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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