虚堂智愚(読み)きどうちぐ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「虚堂智愚」の意味・わかりやすい解説

虚堂智愚
きどうちぐ
(1185―1269)

中国、南宋(なんそう)代の臨済(りんざい)宗の禅僧虚堂、息耕叟(そっこうそう)と号する。俗姓は陳氏。四明(浙江(せっこう/チョーチヤン)省)象山の人。16歳で普明寺の師蘊(しうん)の下で出家。宏智(わんし)派の雪竇煥(せつちょうかん)、浄慈重皎(じんずじゅうこう)などに参じ、のち松源派の運庵普巌(うんなんふがん)に嗣法(しほう)した。1229年に興聖寺に初住し、報恩寺、顕孝(けんこう)寺、瑞巌(ずいがん)寺、延福寺、宝林寺、阿育王山広利寺、浄慈寺、径山(きんざん)に歴住した。咸淳(かんじゅん)5年10月7日示寂。天童如浄(てんどうにょじょう)と交渉があり、弟子に入宋(にっそう)僧南浦紹明(なんぽじょうみょう)がいる。『語録』10巻がある。

[石井修道 2017年1月19日]

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改訂新版 世界大百科事典 「虚堂智愚」の意味・わかりやすい解説

虚堂智愚 (きどうちぐ)
Xū táng Zhì yú
生没年:1185-1269

中国,南宋の禅僧。別号は息耕。四明象山(浙江省)の陳氏に生まれ,16歳で普明寺の師蘊につき出家,諸師に参じたのち,運菴普巌の法を継いだ。育王山広利寺,南山浄慈報恩寺,径山興聖万寿寺など五山の大寺に住した当代きっての禅僧である。日本から入宋した多くの禅僧も彼に参じたが,とりわけ南浦紹明(なんぽしようみよう)はその法を継いで帰朝し,大徳寺,妙心寺両派によってその法脈を今に伝えている。茶道が大徳寺派の禅と密接な関係をもって発展すると,虚堂の墨跡は禅家はもとより茶の世界でも特に愛玩珍重された。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「虚堂智愚」の意味・わかりやすい解説

虚堂智愚
きどうちぐ
Xu-tang Zhi-yu

[生]淳煕12(1185).浙江,会稽
[没]咸淳5(1269).径山
中国,南宋の臨済宗の僧。号は息耕。 16歳のとき,普明寺の師蘊について出家し,天寧寺の運庵普厳の座下において大悟し,その法門を継いだ。紹定2 (1229) 年興聖寺に住し,次いで報恩,瑞巌,育王,浄慈,万寿などの諸名刹に歴住した。虚堂門下の禅僧として名声を残した者が多数輩出したが,日本から入宋した南浦紹明 (なんぽじょうみょう) は虚堂の法脈を受けた臨済禅を日本に伝えた。『虚堂和尚語録』がある。虚堂の墨跡は筆勢の強い素朴なもので,鎌倉時代から愛好された。大徳寺蔵『達磨忌拈香語 (だるまきねんこうご) 』,同寺塔頭の孤篷庵蔵『凌霄 (りょうしょう) 』墨跡,妙心寺蔵『虚堂頂相』宝祐6 (58) 年の自賛,東京国立博物館蔵の無象静照に与えられた『法語』,あるいは個人所蔵の墨跡が現存

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