墨跡ということばは紙や布に墨書された肉筆一般を意味するもので,書跡,筆跡と同義であり,墨迹,墨蹟とも書くが,日本では臨済宗を主とする禅宗僧侶の書を特に禅林墨跡と称し,略して〈墨跡〉と呼ぶ習慣がある。
中国での用例は古く,六朝時代の《宋書》范曄伝に〈示以墨跡〉とあり,唐の詩人韓愈の《高君仙硯銘》中にも〈宛中有点墨跡文字之祥。君家其昌〉と見えている。さらに《宋史》真宗紀に〈太宗墨迹賜天下〉とか,〈真宗書籍万余巻。……古書墨迹蔵其中〉とあり,宋代から一般に多く用いられるようになったらしい。ちょうどそのころから日本の禅僧が相次いで入宋,入元し,参禅修行の証拠とするために諸師の書を競って持ち帰ったが,それらを中国での用法にならって誰々の墨跡と呼んでいるうちに,墨跡という言葉は,禅林における書だけをさすようになった。墨跡の語が日本でいちばん早く使われた例としては,京都東福寺の開山,円爾弁円(聖一国師)が1241年(仁治2)帰朝のとき将来した儒仏道3教の典籍目録をあげることができる。同目録中に,〈古人墨跡等〉と見えている。その後,頻繁に使われるようになり,円覚寺《仏日庵公物目録》には墨跡という部類があり,唐分と日本分とに分けてその名称が列記されている。
禅宗は本来,〈以心伝心,不立文字〉を建て前とする宗派である。しかし宋代以後,禅僧が文人士大夫社会と交渉をもち,蘇軾(東坡),黄庭堅(山谷)らの文人趣味を取り入れ,詩文や書画によって禅の境地を表現する風が高まると,彼らの墨跡はその宗風を伝えるもの,参禅の証拠として,法を継ぐ弟子たちはもとより多くの人々に尊重されるようになった。日本にこうした風潮が伝承されたのは当然のことと言えよう。こうして墨跡の類は日本禅林においても珍重され,また,将軍,五山僧,貴族らによって各禅林の書斎で開かれる詩会を通して,さらには堺の町衆茶人による草庵における茶席の場で,鑑賞されるようになった。
墨跡を床の間に飾った早期の例は,わび茶の創始者村田珠光の〈流れ圜悟(えんご)〉で,山上宗二は《茶器名物集》に圜悟克勤(こくごん)の墨跡を第1位に掲げ,〈右一軸ハ,昔珠光,一休和尚ヨリ被申請候。墨蹟ノカケ始也〉と記している。千利休は茶室の床飾りには墨跡を第一と主唱し,彼の門弟南坊宗啓はその著《南方録》中に,〈掛物ほど第一の道具はなし。客,亭主共に茶の湯三昧の一心得道の物也。墨跡を第一とす〉と力説している。そしてさらに〈仏語,祖語と,筆者の徳と,かね用るを第一とし,重宝の一軸也。又,筆者は大徳といふにはあらねども,仏語,祖語を用てかくるを第二とす〉と述べているように,これら墨跡の鑑賞は,筆者の徳と,書かれた内容の考察に重きが置かれていたようである。
たしかに墨跡をひとつの書作品として見た場合,書法とか師承云々よりも,禅僧各人の禅機によってその人の書自体がひとつの型をつくり,千態万状の妙を呈したものと言える。誰々の書風を習ったというよりも,その人の筆跡それぞれが独自の型を形成しているのであるから,墨跡というのは,技巧や書法的な美しさを求めるものではなく,破格法外の造形性を通して,その筆者の心,気魄を感ずるものなのであろう。仏教界における禅そのものの立場が,自己の家風を挙揚するものであるから,墨跡の書風もきわめて独自性の強いものであることはむしろ当然のことと言うべきであろう。
日本に現存する墨跡の数は実に多い。北宋末期の妙総大師道潜や圜悟克勤あたりが最も古いもので,伝存する墨跡の中で特に重んぜられるのは,中国では宋~元代の高僧の書,日本では鎌倉~室町前期の五山全盛時代の高僧のもの,および江戸時代における主として大徳寺に住持した高僧たちの遺墨である。その代表的な筆者は中国では宋代の圜悟克勤,大慧宗杲(だいえそうこう),密庵咸傑(みつたんかんけつ),無準師範(ぶじゆんしはん),虚堂智愚(きどうちぐ),元代の中峰明本,月江正印,古林清茂(くりんせいむ),東陽徳輝,了庵清欲らがいる。日本では鎌倉~室町期の宗峰妙超,夢窓疎石,一休宗純,江戸期の沢庵宗彭,江月宗玩,清巌宗渭(せいがんしゆうき)などである。彼ら禅僧の書いたものは何であれ墨跡というが,その内容や形式について大別すると次のごとくである。
(1)詩形式のもの 古詩,絶句,律詩のスタイルに仏教的内容を盛りこんだもので,偈頌(げじゆ)と呼んでいる。(a)道号の頌 修行を終えて一人前になった弟子に,師あるいは先輩が字(あざな)を授け,偈頌の形式で賞揚したもの。道号の2字を大書し,その左横または下に七言絶句形式の頌を書く。禅僧たちにたいせつに保存されたので,現存する墨跡中にかなり多い。(b)投機の偈 師から与えられた公案(こうあん)につき,大悟した禅僧がそのときの心境を詠んだ偈頌。ふつうはこれを師匠に呈示して,印可を受けたことを証明してもらう。(c)餞偈(せんげ) 修行を終えて師のもとを辞去する禅僧に,師友が餞別として書き与える偈頌。送行の偈ともいう。入宋,入元した日本僧が参学の証拠として競って持ち帰ったため,現存墨跡中に多い。(d)遺偈(ゆいげ) 禅僧が死の直前に,最期の心境を吐露した絶筆の偈頌。後世になると遺偈を残すことが慣例化し,つねに用意を怠らなかったという。(e)頌古 禅の公案に対し,みずからの見解や所悟を詠んだ偈頌。(f)画讃 人物画や山水図に書き加えた偈頌。(g)その他 禅宗界の祖師,先輩の偈や唐宋名家の詩を書いたもの。これも墨跡の類に入る。
(2)文章形式のもの 韻文の形式になる法語,疏が多く,のちに散文のもの,また日本では仮名文の法語も行われた。(a)法語 さまざまな仏事における住持の説法,師匠が参禅の衆徒に説き与える法語,辞去する弟子に与える送行の法語,さらに衆徒を激励するための警策,進道語などがある。(b)疏(しよ) 新しい住持が任命されたとき,その入寺を慶賀するために作った文。新住持の入寺を寺側から勧請する山門疏,諸寺の住持が新命の入寺をうながす諸山疏,新命の知友たちが入寺を勧める江湖疏,新命の旧友たちが入寺を祝う道旧疏,同門の人々が祝う同門疏,同一法系の人々がおくる法眷疏などがある。(c)榜(ぼう) 一般大衆に告示する掲示や壁書の類。盂蘭盆会(うらぼんえ)など法要のときに読む経典名の下に,希望者の名を列記した看経榜,新住持入寺のとき行われる点茶湯の会のために,僧堂前に掲げる茶の湯榜などがある。(d)問答語 禅問答をそのまま書いたもの。珍重すべきものだが,現存する墨跡はごく少ない。(e)印可状 師匠が弟子に,禅学修行の認可証明として書き与えるもの。現存する墨跡は少なく,圜悟克勤が虎丘紹隆に与えた印可状(桐製の筒に入って薩摩坊津に漂流渡来したと伝えるので〈流れ圜悟〉の名がある)はその最も著名なものである。(f)像讃 肖像画の上に加える讃文のことで,禅宗界では頂相(ちんそう)讃,または真讃という。歴代の祖師たちや自分の師友たちの頂相に加える仏祖讃,みずからの頂相に讃を書く自讃とがある。(g)その他 著作や書画巻などに付す序,跋,題の類,由来や因縁を述べる記,銘の類,題字,箴言,尺牘(せきとく)(書状,消息)など,多くのものがある。
(3)大字,少字のもの 詩や文ではないが,墨跡の範疇で鑑賞されている。(a)安名(あんみよう) 出家し得度を受ける者に戒師が法名(法諱(ほうい)もしくは諱(いみな)という)を与えるが,その名号を書いたもの。(b)道号 師が弟子に授ける道号2字を大書したもの。初めは一紙に道号のみを大書したが,のちには同じ一紙の中に道号と偈頌とを書くようになった。(c)牌字・額字 寺院の山号,寺号,室号,軒号など諸堂に掲げる額字を大書したもの。僧侶の役職名を大書したものもある。(d)一行書 3~8字程度の偈句を大書し,床飾りとしたもの。俗に〈大徳寺もの〉と呼ばれるように,江戸時代の大徳寺系僧侶の筆跡に多い。
→法語
執筆者:角井 博
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
禅僧の筆跡の習慣的呼称。本来は「書いた筆のあと」(筆跡)を意味し、中国では「墨迹」とも書いて広く肉筆一般をさすが、わが国では、とくに中国・日本の禅僧の筆跡に限定して墨跡の語が用いられる。なかでも、中国の宋(そう)・元時代の禅僧、および日本の鎌倉・室町時代の禅僧が書いたものを珍重するが、さらに範囲を広げて江戸時代以後の臨済宗や黄檗(おうばく)宗の僧侶(そうりょ)のものも、そのなかに含めて考えられている。室町時代、村田珠光(じゅこう)らによって茶道が盛行するにつれて、墨跡は茶席の掛物の第一に置かれてきた。それは、書かれた文句の心、および筆者の徳に対して、尊敬されたところにある
墨跡には、さまざまな内容があり、およそ次のように区分される。(1)印可状(いんかじょう) 師が弟子に対して、修行を終えた証明として与えたもので、墨跡のなかでもっとも重要とされるもの。
(2)字号(じごう) 師が弟子に号を授与するのに、自筆で大書したもので、印可状と同様に権威をもつ。
(3)法語(ほうご) 仏法の尊厳を説き、自己の悟りの境地を示したもので、師から弟子へ、また同輩の間でも書き贈られた。
(4)偈頌(げじゅ) 五言・七言などの韻文体のもので、偈ともよぶ。法語とほぼ同様な内容である。
(5)遺偈(ゆいげ) 禅僧が死の直前に、弟子たちに辞世の句として書き残したもの。
(6)餞別語(せんべつご) 中国に渡った日本の禅僧が、帰国に際して歴訪した寺の高僧に書いてもらった法語や偈など。
(7)進道語(しんどうご) 師から弟子に、禅の肝要を説いて修行の助けとしたもの。
(8)額字(がくじ) 禅寺の建築の内外に掲げる額の文字。
(9)書状(手紙)。
これらの墨跡は、書法にこだわることなく、筆者自身の修行の果てに到達した高い精神性が端的に表れた破格法外の書が多く、その個性味豊かな書風が尊ばれている。
[古谷 稔]
『木下政雄編『日本美術全集15 禅宗の美術Ⅱ――墨跡と禅宗絵画』(1979・学習研究社)』
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…釈迦―十大弟子―各宗の祖師―弟子への系譜を,禅宗や密教で血脈(けちみやく)と称するゆえんもここにある。この系列の美術に羅漢像や祖師像などの肖像や,僧侶自身の墨跡がある。また僧によって仏事を営むための仏具,供養具,梵音具,芸能具も多岐にわたり,僧侶の生活用具も重視された。…
※「墨跡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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