中国、南宋(なんそう)代の曹洞(そうとう)宗の僧。諱(いみな)は如浄。字(あざな)、道号はない。越州(浙江(せっこう)省)の出身。幼時に出家して教学を学んだが、19歳のときそれを捨て禅門に帰し、諸師を歴訪後、雪竇智鑑(せっちょうちかん)(1105―1192)に参じてその下で悟る。1210年(嘉定3)建康府清凉寺(せいりょうじ)(江蘇(こうそ)省)に入寺、その後、台州瑞巌寺(ずいがんじ)(浙江省)、臨安府浄慈寺(じんずじ)(浙江省)、明州瑞巌寺(浙江省)に歴住、ふたたび浄慈寺に住したのち、明州天童景徳寺(けいとくじ)に勅住した。参学の僧は多く、嗣法(しほう)の弟子に、無外義遠(むがいぎおん)、雪屋正韶(せつおくしょうしょう)(1202―1260)や日本の道元(どうげん)らがいる。道元は彼の著書のなかで、名利を嫌い、修行に対しては峻厳(しゅんげん)な如浄像を伝えている。宝慶3年7月17日示寂。著書に『天童如浄和尚(おしょう)録』がある。
[伊藤秀憲 2017年3月21日]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…黄檗僧が伝える近世中国の学問や医学,文人趣味の書画や煎茶など,かつての臨済宗の禅文化と,まったくちがった傾向をもって,近世日本文化に与えた影響は大きいし,日本臨済禅のみならず,曹洞宗もまた自派の伝統を再編することとなる。 日本の曹洞宗は,永平寺を開創する道元希玄が入宋し,天童如浄に参じて,その正法眼蔵を伝えるのに始まる。天童如浄は,中国曹洞宗に属したが,道元によると自己の宗旨を五家の一つとしての曹洞宗とせず,仏法の全道をもって自任する。…
※「天童如浄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
米テスラと低価格EVでシェアを広げる中国大手、比亜迪(BYD)が激しいトップ争いを繰り広げている。英調査会社グローバルデータによると、2023年の世界販売台数は約978万7千台。ガソリン車などを含む...
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加