出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
生没年不詳。衛氏朝鮮の建国者。紀元前2世紀初めの中国、燕(えん)の人で、『史記』によれば前195年、燕王の盧綰(ろわん)が漢に背いて敗れるや、衛満は魋結(ついけつ)(さいづち髷(まげ))をし、蛮夷(ばんい)の服を着て、1000余人を率いて水(はいすい)(鴨緑江(おうりょくこう))を渡り、朝鮮の地に移った。そこで土着民や燕、斉(せい)の亡命者を治め、王険城(おうけんじょう)(現在の平壌(ピョンヤン))に都を定めて衛氏朝鮮を建てた。遼東(りょうとう)太守の外臣となり、数千里四方を支配したが、孫の右渠(ゆうきょ)の代に漢の武帝の怒りを買い、前108年衛氏朝鮮は滅ぼされ、漢の郡県となった。
[浜田耕策]
生没年不詳
衛氏(えいし)朝鮮の建国者。漢初の燕王盧綰(ろわん)の臣で,朝鮮北部に亡命して箕子(きし)朝鮮の王箕準(きじゅん)の信任を受けた。前190年頃国を奪い王険(王倹)(おうけん)城(平壌(ピョンヤン))を都とした。漢は衛満を遼東太守の外臣として,周囲の諸部族を服属させた。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…朝鮮半島北西部は古来から中国との交流がおこなわれ,政治,経済,文化の諸般に深い影響を受けていたようである。《史記》によると前195年(漢の高祖12),燕王盧綰(ろわん)が漢に背反したとき,その部将の衛満は部下1000余人をひきいて浿水(ばいすい)(位置に諸説あり)を渡り北朝鮮の地におもむき,箕子(きし)朝鮮国最後の国王,箕準(淮とも記す)に信頼され官職を授けられ封地も賜ったという。やがて勢力をたくわえた衛満は燕や斉の亡民を糾合して準を脅かし,漢の恵帝のころ準を追放してみずから王となり前王の故都王険城(現,平壌付近)を首都とした。…
※「衛満」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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