袋田村(読み)ふくろだむら

日本歴史地名大系 「袋田村」の解説

袋田村
ふくろだむら

[現在地名]大子町袋田

久慈川とその東の生瀬なませ盆地の間にあって、北は久野瀬くのせ村。佐竹知行目録(彰考館蔵)の永禄一〇年(一五六七)三月二八日の項に「袋田之内三十貫生瀬之内二十貫 野内隼人」とある。寛永一二年(一六三五)の水戸領郷高帳先高に「袋田村」とみえ、万治二年(一六五九)の袋田村宗旨改帳(「大子町史写真集」所収)に人別七〇九人、内訳男三八〇・女三一四・出家一一・山伏三・もりこ一とあり、身分別戸数では庄屋一・組頭七・百姓一〇八・水呑六・船頭一・山伏三であった。


袋田村
ふくろだむら

[現在地名]須賀川市袋田

越久おつきゆう村の西、なめ川の南岸の緩丘陵に立地。北部を同川支流岩根いわね川が東流、当村古名の石根いわね村は川名に由来するという。須賀川宿から長沼ながぬま宿(現長沼町)への道が通る。建武三年(一三三六)四月二五日の沙弥某預ケ状(遠藤白川文書)に「岩瀬郡袋田村」とみえ、足利尊氏の料所であった当地が軍忠の賞として蒲田五郎太郎(兼光)に預けられている。

文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録に袋田とみえ、高三七五石余、楢崎与二ほか二名の知行地。江戸時代の領主変遷山寺やまでら村と同じ。白河古領村郷高帳でも高三七五石余。


袋田村
ふくろだむら

[現在地名]鹿本町中富なかどみ

内田うちだ川が迫間はざま川と合流する北に位置し、北東玉名たまな下梶屋しもかじや村、西は同郡上中富かみなかどみ村、南東は内田川を挟んで菊池郡寺町てらまち(現七城町)と接する。慶長一三年(一六〇八)の鍛冶屋村検地帳に「鍛冶屋村御検地打出御帳袋田分」とあり、同村の枝村であった。同帳によると、田一一町四反一畝余・畑二町五反二畝余、分米一六三石八斗余、家数六・人数一〇、牛馬二。近世玉名郡中富手永に属し、梶屋・藤井・中富村と五ヶ村組を形成した。宝暦一三年(一七六三)の下ケ名寄帳によると、田畑一三町一反八畝余・高一六七石余、うち新地は三反六畝余・高三石一斗余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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