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西垣勘四郎(初代) にしがき かんしろう

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

西垣勘四郎(初代) にしがき-かんしろう

1613-1693 江戸時代前期の装剣金工。
慶長18年生まれ。丹波の神職の子といわれる。平田彦三に白銀細工をまなび,細川家につかえる。寛永9年主家の移封にともない肥後(熊本県)にうつり,肥後金工の主流をなす。鐔(つば)や縁頭(ふちがしら)の製作で名をのこす。元禄(げんろく)6年6月死去。81歳。豊前(ぶぜん)中津(大分県)出身。名は吉弘。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

西垣勘四郎(初代)

没年:元禄6.6(1693)
生年:慶長18(1613)
江戸前期の装剣金工家。丹波国内外宮の神官の子(一説に弟)として豊前国中津(大分県)で生まれたと伝えられ,通称,吉教。肥後の鐔工平田彦三の門下で学び,同派白銀細工の免許を相伝される。のちに細川家のお抱え工となり,20人扶持を支給される。寛永9(1632)年主家の移封に伴い肥後国(熊本県)八代に移り,のちに熊本職人町にも住した。作品には「遠見松透鐔」「桐花透鐔」(いずれも東京国立博物館蔵)にみるような鉄地の透彫りで唐草,老松,桐などを表すものを得意とした。勘四郎は3代続き,肥後金工の主流として知られる林,平田,志水家と並ぶ西垣家を興した。

(加島勝)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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