朝日日本歴史人物事典 「西垣勘四郎」の解説
西垣勘四郎(初代)
生年:慶長18(1613)
江戸前期の装剣金工家。丹波国内外宮の神官の子(一説に弟)として豊前国中津(大分県)で生まれたと伝えられ,通称,吉教。肥後の鐔工平田彦三の門下で学び,同派白銀細工の免許を相伝される。のちに細川家のお抱え工となり,20人扶持を支給される。寛永9(1632)年主家の移封に伴い肥後国(熊本県)八代に移り,のちに熊本職人町にも住した。作品には「遠見松透鐔」「桐花透鐔」(いずれも東京国立博物館蔵)にみるような鉄地の透彫りで唐草,老松,桐などを表すものを得意とした。勘四郎は3代続き,肥後金工の主流として知られる林,平田,志水家と並ぶ西垣家を興した。
(加島勝)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報