西大森村(読み)にしおおもりむら

日本歴史地名大系 「西大森村」の解説

西大森村
にしおおもりむら

[現在地名]立山町西大森

三ッ塚新みつづかしん村の北方一六町に位置(三州測量図籍)。西は常願寺川に接し、集落河川に形成した微高地状に立地する。集落は河川に沿って南北に細長く、南端部を大橋北端部を二ッ屋ふたつやともよぶ。村名は東の東大森村も含む地に杉の大森林があったことにより、大橋は幕府巡見使道の渡河点に大きな橋が架けられていたこと、二ッ屋は二軒の百姓が居住したことに由来するとされる(五百石地方郷土史要)。当村は常願寺川に沿って南進する立山道(巡見使道)が通り、富山城下から中市なかいち村・横内よこうち(現富山市)を経て対岸流杉ながれすぎ(現同上)から常願寺川を渡河して当村に至り、巡見使道に合流した。文明一八年(一四八六)聖護院道興は立山禅定の途中大森を通り、「大森といへる所をすぎけるに残暑いまだ散じやり侍らねば、われ人木陰にすゞみとりて」として、「風はもりてる日はうとき大森の陰にたちよる初秋の空」と詠んだ(廻国雑記)


西大森村
にしおおもりむら

[現在地名]大田区大森中おおもりなか二丁目・大森西おおもりにし五丁目など

元禄八年(一六九五)検地に際し、大森村が三分割されて成立(風土記稿)元禄郷帳に村名がみえ、高四一九石余。宝暦二年(一七五二)にも同高で、反別は田二六町八反余・畑一五町余(「新用水堀定」平川家文書)。化政期の家数二〇〇余(風土記稿)。東海道品川宿の助郷で、享保一〇年(一七二五)の勤高四一九石(「品川宿助郷帳」品川町史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android