日本歴史地名大系 「西大道村」の解説 西大道村にしだいどうむら 大阪府:大阪市東淀川区西大道村[現在地名]東淀川区大桐(だいどう)一―五丁目・大道南(だいどうみなみ)二丁目・大隅(おおすみ)一―二丁目・瑞光(ずいこう)一―五丁目・小松(こまつ)一丁目・同五丁目・井高野(いたかの)一―四丁目など集落は南大道村の集落の西方にあり、耕地は南大道村・北大道村と錯綜する。字地に浜(はま)があり「摂津志」の記す「属邑一」にあたると思われる。旧名は大隅・大内(おおうち)・三宝寺(さんぽうじ)と称したという(摂津志)。当村一帯はいわゆる難波八十島の一つ「大隅島」とされ、「大隅」「大内」の地名はこの大隅にちなむといわれる。 西大道村にしだいどうむら 福井県:南条郡南条町西大道村[現在地名]南条町西大道連光坊(れんこうぼう)山の北東麓、日野川との間に広がる村。村の東部を北陸街道が南北に通る。脇本(わきもと)庄五ヵ村の一。古くは脇本上(わきもとかみ)村と称したらしい(妙泰寺文書)。その後、街道を境に東西に分けられたようで、慶長三年(一五九八)九月の越前府中郡在々高目録に「西脇本大道分」とみえ、村高五〇三・四五石、先高三七七・一一七石・出分一二六・三三三石であった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報