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西川春洞 にしかわ しゅんどう

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美術人名辞典の解説

西川春洞

書家。佐賀県生。唐津藩医元琳の子、寧の父。名は元譲、字は子謙、別号に稚学園・茄古山民・大夢道人等。巌谷一六らと中沢雪城の門に学ぶ。漢魏六朝から清朝に至る古碑法帖を研究して一家を成し、殊に徐三庚に傾倒した。後進の指導に尽し、春洞流は書道界に一大勢力を誇っている。大正4年(1915)歿、69才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

西川春洞 にしかわ-しゅんどう

1847-1915 明治-大正時代の書家。
弘化(こうか)4年5月25日生まれ。西川寧(やすし)の父。中沢雪城(せつじょう)に書を,平田彬斎(ひんさい)に漢学をまなぶ。中国の古碑法帖(ほうじょう)を研究し,春洞流とよばれる一大勢力を形成,おおくの弟子をそだてた。大正4年8月10日死去。69歳。江戸出身。名は元譲。字(あざな)は子謙。別号に茹瓶山人,大夢道人など。

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

西川春洞

没年:大正4.8.10(1915)
生年:弘化4.5.25(1847.7.7)
明治大正時代の書家。名は元譲。字は子謙。号は春洞,謙慎堂主人,大夢道人など。江戸日本橋出身。代々肥前(佐賀県)唐津藩医の家柄で,父寧広も藩医。幕末,国事に奔走し,明治維新後,医師を辞め,数年間大蔵省に出仕した。その後,書に専念。書名も高まり,「山の手派の(日下部)鳴鶴,下町派の春洞」と並称された。

(山内常正)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

西川春洞
にしかわしゅんどう
(1847―1915)

明治の書家。唐津(からつ)藩士元琳(げんりん)の子で、江戸の藩邸(日本橋本町)に生まれる。名は元譲、字(あざな)は子謙。別に如瓶人(じょへいじん)、大夢道人、謙慎書堂主人と号した。生家は代々藩医を勤め、医を志したが、幼時より書を祖父亀年(きねん)に学ぶ。5歳で中沢雪城の門に入り、また漢学を平田彬斎(ひんさい)に、写真術を下岡蓮杖(しもおかれんじょう)に学ぶ。幕末の政変期には、父に従って活躍。1874年(明治7)28歳で大蔵省に出仕したが、やがて辞し、向島(むこうじま)に居を構えて書道の研究、指導に専念した。書は初め元(げん)の趙子昂(ちょうすごう)風であったが、のち漢魏六朝(かんぎりくちょう)から清(しん)時代に至るあらゆる古碑法帖(ほうじょう)を研究し、ついに一家をなした。日下部鳴鶴(くさかべめいかく)と併称され、多くの弟子を養成、門下から諸井春畦(もろいしゅんけい)、武田霞洞(かどう)、豊道春海(ぶんどうしゅんかい)らの俊秀を出した。詩画、篆刻(てんこく)も巧みで、すべての文人趣味にも精通していた。書家西川寧(やすし)はその長男。[角井 博]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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世界大百科事典内の西川春洞の言及

【書】より

…当時,和漢の書を極め,漢字に新しい境地を開いて注目される。菱湖は欧陽詢風の細楷をよくし,門下の中沢雪城からは明治時代の書家巌谷一六(いわやいちろく)(1835‐1905),西川春洞(1847‐1915)を出し,明治時代の書に与えた影響は大きい。 一方,江戸時代の一般庶民は上流階級には無関係に御家流万能であった。…

※「西川春洞」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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