西川田村
にしかわたむら
東川田村の西に位置し、北辺を吉野川が東流する。南は川田山。川田は河田とも記した。古くは東川田村と一村で川田村と称していたが、慶安二年(一六四九)以前に東西の二村に分れたとされる。また当村は東川田村の枝村として扱われる場合もあった(「山川町史」など)。両村の村域は複雑に入組んでおり、現の地名は東川田村の項に一括して掲載した。地内には細川氏・土肥氏が拠った中世の井上城跡がある。明暦三年(一六五七)の棟付帳によると高七一六石余、家数一一六・人数四七〇、牛三九・馬七〇(ただし人数は男のみ)、享保六年(一七二一)の棟付帳では高六二八石余、家数三一五・人数五〇五(同じく人数は男のみ)、文化五年(一八〇八)の棟付帳では家数三五八・人数一千六五七、牛一〇六・馬一〇二であった(山川町史)。
西川田村
にしかわたむら
[現在地名]宇都宮市西川田町・
西川田東町・
大塚町・
大和一―三丁目・
八千代一―二丁目・
東浦町・
緑四―五丁目・
今宮三―四丁目・
東原町・
双葉三丁目・みどり
野町 東は江曾島村・兵庫塚新田、南は幕田村に接する平坦地で、南北に細長く、西部を宇都宮から栃木への道が縦断する。「那須記」によれば、天正四年(一五七六)宇都宮国綱に従う武士のなかに西河田城主荒井内記掾がいる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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