西泊(読み)にしどまり

日本歴史地名大系 「西泊」の解説

西泊
にしどまり

中世よりみえる豊崎とよさき郡内の地名。「老松堂日本行録」永楽一八年(一四二〇)二月一七日条にみえる「利新梁湾」は当地に比定され、宋希朝鮮から日本に向かう途次風浪が激しいため当地に入港するとき、小船二艘に牽引されたという。希一行は二月二〇日まで西泊に停泊したが、その際魚を売ろうとして近づいてきた倭人の小船を見ると一人の僧がひざまずいて食を請うたので、食料を与えて境遇を尋ねると一四一八年に捕虜になった台州衛の軍人で、対馬に連れてこられて髪を剃られて奴となったという。また辛苦に耐えないので希に従ってこの場を去りたいと涙を流し、住んでいる所を聞くと転売のあとこの倭人のもとで二ヵ年になるが、このように海に浮んで暮しているので地名を知らずにいると答えている。倭人は米を賜れば、この僧を売ろうと申出ている。当地には尼寺があり、通訳の伊仁輔と旧知の仲であった尼は希らと会い、その目的が回礼にあることを知って、太平の使いの到来を喜んでいる。また西泊の空寺(西福寺)主僧は一四一九年朝鮮半島に行き、捕虜となり、帰ってこないと説明を受けている(老松堂日本行録)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android