コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

宗貞盛 そう さだもり

3件 の用語解説(宗貞盛の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

宗貞盛 そう-さだもり

1385?-1452 室町時代の武将。
至徳2=元中2年?生まれ。宗貞茂(さだしげ)の子。応永25年対馬(つしま)(長崎県)の守護をつぐ。翌年倭寇(わこう)征討のため対馬を襲撃した朝鮮軍をしりぞけた(応永の外寇)。のち朝鮮との関係を修復,嘉吉(かきつ)3年癸亥(きがい)約条(嘉吉条約)をむすび,朝鮮貿易に特権的地位をかためた。宝徳4年6月22日死去。68歳?幼名は都々熊丸。通称は右馬,彦六。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

宗貞盛

没年:享徳1.6.22(1452.7.9)
生年:生年不詳
室町時代の武将。対馬守護。幼名都々熊丸。彦六,刑部少輔。貞茂の子。父の死後,跡を継いだが,幼少であったため倭寇の勢力を抑えきれず,朝鮮からその本拠地とみなされて応永26(1419)年に突如襲撃を受けた(応永の外寇)。一時倭寇の首領早田左衛門大郎に対馬の支配権を奪われたが,その後,朝鮮との関係を修復し,島内支配権の確立に努力。永享10(1438)年,朝鮮への通交者には対馬島主宗氏の文引(渡航証明書)が必要であるという文引の制を成立させ,嘉吉3(1443)年には癸亥約条を朝鮮と結び,年間50隻の使船を派遣する権利を獲得した。

(佐伯弘次)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版の解説

そうさだもり【宗貞盛】

1384‐1452(元中1∥至徳1‐享徳1)
室町前期の対馬島主。幼名都々熊丸。刑部少輔。1418年(応永25)襲封,翌年応永の外寇を経験。その後島内の庶流や土豪の抵抗を抑えて,島内支配の浸透と朝鮮関係の掌握に努め,43年(嘉吉3)には朝鮮と癸亥(きがい)約条(嘉吉条約)を結んで,特権的地位を固めた。また琉球にも遣使した。一方,北九州では少弐氏を助けて大内持世と戦ったが,1441年に大敗,九州の所領を失った。【荒野 泰典】

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

世界大百科事典内の宗貞盛の言及

【応永の外寇】より

…1419年(応永26,朝鮮の世宗1)に,対馬島が朝鮮国軍の攻撃をうけた事件。14世紀中葉以来,倭寇が朝鮮半島の各地を荒らして大きな被害をあたえていたが,朝鮮では対馬島主宗貞茂(そうさだしげ)に特権をあたえて,日本から朝鮮に渡航するものを統制させ,倭寇の鎮静に大きな成果をあげていた。ところが,1418年に対馬で貞茂が死に,幼主貞盛がたったが,対馬島内の実権は海賊の首領の早田(そうだ)氏にうつり,しかも倭寇の1船団が朝鮮の沿岸を襲う事件がおこった。…

※「宗貞盛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

宗貞盛の関連キーワード享徳元中至徳愚渓智至月湖(1)光範門院聖快相山良永中庭宗可四辻季保

今日のキーワード

災害派遣

天災地変その他の災害に際して,人命または財産の保護のために行なわれる自衛隊の派遣。災害出動ともいう。都道府県知事などの要請に基づいて,防衛大臣が派遣することを原則とするが,特に緊急を要する場合,要請を...

続きを読む

コトバンク for iPhone