宗貞盛(読み)そうさだもり

改訂新版 世界大百科事典 「宗貞盛」の意味・わかりやすい解説

宗貞盛 (そうさだもり)
生没年:1384-1452(元中1・至徳1-享徳1)

室町前期の対馬島主。幼名都々熊丸。刑部少輔。1418年(応永25)襲封,翌年応永の外寇を経験。その後島内の庶流や土豪の抵抗を抑えて,島内支配の浸透朝鮮関係の掌握に努め,43年(嘉吉3)には朝鮮と癸亥きがい)約条(嘉吉条約)を結んで,特権的地位を固めた。また琉球にも遣使した。一方,北九州では少弐氏を助けて大内持世と戦ったが,1441年に大敗,九州の所領を失った。
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朝日日本歴史人物事典 「宗貞盛」の解説

宗貞盛

没年:享徳1.6.22(1452.7.9)
生年:生年不詳
室町時代武将。対馬守護。幼名都々熊丸。彦六,刑部少輔。貞茂の子。父の死後,跡を継いだが,幼少であったため倭寇勢力を抑えきれず,朝鮮からその本拠地とみなされて応永26(1419)年に突如襲撃を受けた(応永の外寇)。一時倭寇の首領早田左衛門大郎に対馬の支配権を奪われたが,その後,朝鮮との関係を修復し,島内支配権の確立に努力。永享10(1438)年,朝鮮への通交者には対馬島主宗氏の文引(渡航証明書)が必要であるという文引の制を成立させ,嘉吉3(1443)年には癸亥約条を朝鮮と結び,年間50隻の使船を派遣する権利を獲得した。

(佐伯弘次)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

山川 日本史小辞典 改訂新版 「宗貞盛」の解説

宗貞盛
そうさだもり

?~1452.6.22

室町中期の武将。対馬国守護。幼名都都熊丸。彦六。右馬・刑部少輔。1418年(応永25)父貞茂の死により若年家督相続。翌年,倭寇撲滅を目的とする朝鮮側の対馬攻撃,応永の外寇をうけた。その後の外交交渉で26年,朝鮮への渡航者に対馬島主発行の許可証を保持させる文引(ぶんいん)制度を提案して成立させ,対朝鮮交易の統制権を利用して島内支配を強化した。しかし,九州では大内軍に大敗し,同地での所領を失った。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宗貞盛」の解説

宗貞盛 そう-さだもり

1385?-1452 室町時代の武将。
至徳2=元中2年?生まれ。宗貞茂(さだしげ)の子。応永25年対馬(つしま)(長崎県)の守護をつぐ。翌年倭寇(わこう)征討のため対馬を襲撃した朝鮮軍をしりぞけた(応永の外寇)。のち朝鮮との関係を修復,嘉吉(かきつ)3年癸亥(きがい)約条(嘉吉条約)をむすび,朝鮮貿易に特権的地位をかためた。宝徳4年6月22日死去。68歳?幼名は都々熊丸。通称は右馬,彦六。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の宗貞盛の言及

【応永の外寇】より

…1419年(応永26,朝鮮の世宗1)に,対馬島が朝鮮国軍の攻撃をうけた事件。14世紀中葉以来,倭寇が朝鮮半島の各地を荒らして大きな被害をあたえていたが,朝鮮では対馬島主宗貞茂(そうさだしげ)に特権をあたえて,日本から朝鮮に渡航するものを統制させ,倭寇の鎮静に大きな成果をあげていた。ところが,1418年に対馬で貞茂が死に,幼主貞盛がたったが,対馬島内の実権は海賊の首領の早田(そうだ)氏にうつり,しかも倭寇の1船団が朝鮮の沿岸を襲う事件がおこった。…

※「宗貞盛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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