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西門豹 せいもんひょうXi-men bao; Hsi-mên pao

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

西門豹
せいもんひょう
Xi-men bao; Hsi-mên pao

中国,戦国時代の政治家。魏の文侯に仕えて鄴 (河北省磁県) の令となり,巫祝と結託して庶民をたぶらかしていた富豪らを誅したという。のち灌漑事業を起し,農業生産の増大に功績をあげた。

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世界大百科事典 第2版の解説

せいもんひょう【西門豹 Xī mén Bào】

中国,戦国魏の政治家。生没年不明。文侯(在位,前445‐前396)のときに鄴(ぎよう)(河北省臨漳県の西)の県令となった。〈さいもんひょう〉とも読む。この地方には毎年,娘を河伯(黄河の神)の嫁として河水に沈める人身供犠が行われていた。彼は着任すると,主唱者の巫祝を河に投じてこの弊習を改め,ついで民を徴発して12条の用水路(いわゆる西門渠)を開き,田地を灌漑してこの地を富ましめたといわれる。【永田 英正】

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

西門豹
せいもんひょう

生没年不詳。中国、戦国時代初期の魏(ぎ)の文侯に仕えた官僚。(ぎょう)(河北省磁県)の令(地方長官)となったが、当時、では、黄河の氾濫(はんらん)を防ぐため河伯(かはく)(黄河の神)の嫁として毎年、娘を黄河に捧(ささ)げる迷信的行事が行われていた。彼はこの行事の指導者である巫(ふ)を河に投じ、これを廃止させた。その後、彼は民を徴発して12の渠(きょ)(用水路)を開き、田を灌漑(かんがい)した。当初、民衆はこの工事に不満を漏らしたが、やがて長く利益を受けることになり、この地は富裕になったという。この説話は、迷信の残る地方に対して、新しい開明的な思想や技術を握った中央の君主権力が、官僚を通じて支配や開発を推進していった当時の状況を反映するものと考えられる。[重近啓樹]

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世界大百科事典内の西門豹の言及

【河南[省]】より


[産業]
 本省では新石器時代から農業が始められていたことはすでにのべた。戦国時代の初め魏では有名な西門豹(せいもんひよう)によって漳河の灌漑工事などが行われたため,各地で生産が進み多くの古代都市が発達した。灌漑とともに運河も早くから開かれたが,歴代戦乱のため水利施設は破壊されて生産力は衰退することが多かった。…

【文侯】より

…彼の在位中に魏は趙・韓とともに諸侯に列せられた。みずからは孔子の高弟の子夏に師事し,段干木を賓客とし,また西門豹(せいもんひよう)を鄴(ぎよう)の令に任命して灌漑事業を行わせ,法律家の李悝(りかい)の意見をいれて農業生産力の増強につとめた。一方,軍事面でも呉起や楽羊(がくよう)を将軍に起用して領土拡大をはかるなど,諸国に先がけて富国強兵策を実行し,魏を戦国初期における第一の強国に発展させた。…

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