覚音寺(読み)かくおんじ

日本歴史地名大系 「覚音寺」の解説

覚音寺
かくおんじ

[現在地名]八坂村大平 藤尾

中山なかやま山地北端の相川あいがわ峠を東に下った所に大平おおだいら集落があるが、その南の視界の開けた藤尾ふじおの地にこの寺があり、金峯山修験本宗藤尾山覚音寺と称する。

本寺の本尊は木造千手観音立像で、その胎内に納入されている板札には、漢字千手千眼陀羅尼及び梵字仏眼仏母大呪を墨書したあと、次のような造像墨書銘が記されている。

<資料は省略されています>

なお、同観音の頸部内側に「仁科」と墨書銘が施されている。その他胎内には紙本の千手観音摺仏二八枚と白銅製円形和鏡一面が納入されていた。以上の史料から覚音寺千手観音立像は、平安時代末期の治承三年(一一七九)に、当時現大町おおまち市大字社の館之内やしろのたてのうちに居館し、仁科にしな御厨の管理をするとともに自らも仁科庄の開発を進めていた仁科盛家が、その一族とともに施主となってこの寺に施入したものであることが明瞭である。また、当時覚音寺は「覚薗かくおん寺」と書かれており、寺のある藤尾の地は仁科御厨に属して藤尾郷とよばれていたことも知れる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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