角田喜右作(読み)つのだ・きうさく

朝日日本歴史人物事典 「角田喜右作」の解説

角田喜右作

没年:明治43.6.25(1910)
生年嘉永6.11.15(1853.12.15)
明治期群馬県政界の立役者で,県三老農のひとり。上野勢多郡樽村(群馬県赤城村)の名主角田喜一の長男。少年時代から学問に励み,上京してヘボンから英語を習った沼間守一から英語,漢文,数学,法学を学ぶ。20歳で樽村ほか2カ村の戸長となり,明治15(1882)年から連続4期県会議員を務め,25年には横野村(赤城村)村長。一方,22年には蚕種改良組合を結成し良質蚕種の共同購入を試み,自らも新品種を製造,38年群馬県蚕種業組合連合会初代会長となる。赤城山麓御料地6000ha開墾植林にも尽力。群馬における自由民権運動の先駆者でもあった。<参考文献>『群馬県蚕糸業沿革調査書』

(井上定幸)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「角田喜右作」の解説

角田喜右作 つのだ-きうさく

1853-1910 明治時代の農政家。
嘉永(かえい)6年11月15日生まれ。上野(こうずけ)勢多(せた)郡樽(たる)村(群馬県赤城村)の名主角田喜一の長男。明治15年から連続4期県会議員をつとめる。25年横野村(赤城村)村長。また蚕種改良組合をつくり,蚕業発展につくす。27年赤城興業組合を創設して組合長,39年県農会副会長。明治43年6月25日死去。58歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例