ワチラウット

百科事典マイペディアの解説

ワチラウット

タイのラタナコーシン朝(チャクリ朝とも)の第6代国王。ラーマ Rama6世ともいう。在位1910年−1925年。1893年英国に留学,サンドハースト陸軍士官学校やオックスフォード大学に学び,歴代国王中最初の留学経験者となった。1902年帰国し父王チュラロンコンを補佐したが,1910年6月,人頭税の引上げに反発した華僑ゼネストにより,その存在の重さに衝撃を受けた。1910年10月の父の死後王位につき,1911年には民間人からなる補助部隊スアパー(猛虎団)を設置,国王直轄とした。そのための莫大な出費への不満と既存の軍部の反感から,1912年には王制打倒の企てがあったが,未遂に終わった。国王は依然スアパーを重視したものの,国政においては父王の始めた近代化政策を推進,全国民が姓をもつことを定め,新国旗の制定,国の祝祭日の設置,スポーツの振興,女性の洋服着用の奨励,義務教育制の導入,チュラロンコン大学の開設などを行った。またタイ生れの中国人にタイ国籍を与える属地主義をとり,1914年の論文〈東洋のユダヤ人〉で華僑の生活態度を批判した。第1次大戦では米国の参戦を待って連合国側に参加,1200名の志願兵部隊を派遣した。戦後戦勝国の一員となったことを契機に,英仏をはじめ各国との間の不平等条約の改正に成功している。治世の末年にはチャオプラヤー川の異変が続き,近代化政策により歳出が膨張して,財政赤字に悩まされた。文学への造詣が深く,自らシェークスピア作品の翻訳・紹介をし,創作も行っている。

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世界大百科事典 第2版の解説

ワチラウット【Wachirawut】

1881‐1925
タイのラタナコーシン朝第6代国王。在位1910‐25年。一般にラーマRama6世と呼ばれる。歴代国王中最初の留学経験者。1893年から1902年までイギリスのサンドハースト陸軍士官学校などに学ぶ。父王チュラロンコンに続き西欧文明の摂取にも尽力したが,その関心は西欧に比肩し得る文化基盤――民族意識――の整備強化であった。姓制度の採用,新国旗の制定,祝祭日の整備,スポーツの普及,義務教育制の導入,議会制実験都市〈ドゥシットターニー〉の建設など,西欧色の強い文化施策を推進した。

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世界大百科事典内のワチラウットの言及

【タイ】より

…日本からも政尾藤吉安井てつなど,刑法,女子教育,養蚕などの専門家が渡タイした。 チュラロンコンのつくった近代的国民教育の基礎は,6世王ワチラウット(在位1910‐25)の時代に〈初等教育法〉(1921)が成立し,義務教育制度が導入されることによって確立した。外国留学を経験した最初のタイ国王であるワチラウットは,文人としての評価はあるものの,すぐれた統治者とはいいがたかった。…

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