塵芥集(読み)ジンカイシュウ

デジタル大辞泉 「塵芥集」の意味・読み・例文・類語

じんかいしゅう〔ヂンカイシフ〕【塵芥集】

戦国時代分国法。1巻。天文5年(1536)奥州戦国大名伊達稙宗だてたねむね制定神社・祭物以下諸事万般の171条からなり、分国法中最大級。伊達氏御成敗式目

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精選版 日本国語大辞典 「塵芥集」の意味・読み・例文・類語

じんかいしゅうヂンカイシフ【塵芥集】

  1. 戦国大名伊達氏の分国法。天文五年(一五三六)、伊達稙宗(たねむね)制定。その書名のように神社・祭物・造営以下全一七一条にわたる諸事万般の規定で、分国法中最大のもの。形式条文配列は「御成敗式目」にならっているが、内容は伊達氏の新しい領国支配に関するもので、特に刑事法規に特色をもつ。

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改訂新版 世界大百科事典 「塵芥集」の意味・わかりやすい解説

塵芥集 (じんかいしゅう)

戦国家法の一つ。1536年(天文5)4月14日,戦国大名伊達稙宗(たねむね)により制定された法典。条数は伝本によって異なるが,最も完備した村田親重献上本は,171ヵ条をおさめ,戦国家法のなかで最大の法典である。その体裁は,前書き,本文,稙宗の署名に続き,家臣の起請文が付けられている。これは,《御成敗式目》の伝本の一系統の体裁に一致し,また本文の一部の条文,前書き,起請文は,式目の文章をそのままひきうつして和文化したものであることが知られる。そのため古くからこの法典における式目の影響の強さが強調されてきたが,その実質的効力をうけついだ条文はわずか5ヵ条にすぎず,この点で《塵芥集》が他の家法よりその影響が濃厚であるとはいえない。この法典制定時の伊達氏の分国は,出羽国置賜地方の長井屋代陸奥国の伊達,信夫,刈田柴田名取,伊具,宇多の諸郡におよぶ範囲に拡大していた。そして稙宗はこの実力の上にたって1523年(大永3)陸奥国守護職を獲得し,積極的に戦国大名化への諸政策をうちだしており,この法典の制定もその政策の一環として位置づけられる。

 条文配列は,社寺法(1~15条),刑事法(16~75条),地頭百姓の関係を定めた法(76~83条),用水法(84~92条),所領売買に関する法(93~105条),貸借法(106~120条)のようにほぼ整然と配列されている。それよりあとは,下人法(141~150条)のように一括されているものもあるが,多くの雑多な条文が多少の関連性をもちつつならべられている。内容上の最大の特色は,刑事法規にあり,これらはいずれも私的成敗の禁止,私闘の禁止の原則でつらぬかれており,これらの多数の条文の定立は,この原則と,それまで行われてきた自力救済観念にもとづく慣行とのあいだにおこりうるさまざまのケースを想定して立法化した結果にもとづくものであり,その具体性,個別性が特徴となっている。
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日本歴史地名大系 「塵芥集」の解説

塵芥集
じんかいしゆう

一冊

別称 稙宗様御家老御成敗式目・伊達氏御成敗式目

成立 天文五年

写本 仙台市博物館・東北大学付属図書館・小林宏ほか

解説 伊達氏一四代稙宗が制定した一七一条にわたる分国法。ほぼ同時期に成立した「今川仮名目録」「甲州法度之次第」「結城家法度」などの分国法のなかでも最大級のものといえる。形式および若干の内容については「貞永式目」の影響を受けているが、実際には当時の伊達氏の領国の実情に即して立法されたものといわれる。その精神や法理の幾つかは後の仙台藩における法のあり方にも継承されたとみられており、元禄の頃成立した「評定所格式牒」にもその影響が及んでいる。もっともその実際的な効力は次の代の晴宗期で失われたとされる。天文二年の「蔵方之掟」、同四年の「棟役日記」、同七年の「段銭古帳」の成立と相まって、稙宗の領国統一の意志を表したものといわれる。

活字本 仙台叢書続刊一・仙台文庫叢書二・大日本古文書伊達家文書一ほか

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「塵芥集」の意味・わかりやすい解説

塵芥集
じんかいしゅう

戦国期、伊達(だて)氏の分国法。『伊達氏御成敗式目(ごせいばいしきもく)』ともよばれる。1536年(天文5)陸奥国(むつのくに)守護伊達郡桑折(こおり)城(福島県桑折町)城主伊達稙宗(たねむね)の制定公布で、完成した形では171条に及び、戦国大名諸家の分国法のなかで最大級。奥書の文言をはじめ、形式としては鎌倉幕府の『御成敗式目』(貞永(じょうえい)式目)の影響を強く受けているが、その条文の内容によれば、伊達領国の実状に即して制定されたことが知られる。刑事関係規定が多くを占め、当事者主義的傾向が濃厚なことも特色とされる。私的復讐(ふくしゅう)、主人の制裁権を相当程度まで許容するなど、当時の伊達領国における地頭(じとう)領主権の相対的な強さをうかがわせ、また農民に関する条項には、地頭領主の側にたって農民を抑えようとする伊達氏の姿勢が示されている。この法典の公布を契機に、伊達氏は領国内の地頭領主層の裁判権・刑罰権を大幅に吸収集中して、戦国大名としての権力の樹立に成功したとみられる。『中世法制史料集 第3巻』、『中世政治社会思想 上』(日本思想大系21)などに所収。

[小林清治]

『小林宏著『伊達家塵芥集の研究』(1970・創文社)』

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百科事典マイペディア 「塵芥集」の意味・わかりやすい解説

塵芥集【じんかいしゅう】

戦国大名伊達(だて)氏の制定した分国法。1536年伊達稙宗(たねむね)が制定したもので,171条よりなる。形式は御成敗式目にならっており,他の分国法に比べ直接的に家臣の統制を目的とした家中法的性格は少なく,分国統治の裁判規範としての性格が濃厚である。
→関連項目伊達氏結城家法度

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「塵芥集」の意味・わかりやすい解説

塵芥集
じんかいしゅう

陸奥の戦国大名伊達氏の家法。天文5 (1536) 年伊達稙宗 (たねむね) の制定。条数は伝本によって異なるが,完備したものは 171条。前文,本文,次に同年4月 14日付中野宗時ら老臣 12名の連署起請文がある。この体裁は『御成敗式目』をまねたもので,内容上も式目の影響が強くみられる。書下し文 (→書下 ) 。分国法のなかでは最も条数が多く,多岐かつ詳細。総じて,伊達氏がその支配下にある中小領主間の紛争や,領主層とその家来,百姓との間に生じる諸問題につき,裁決判断の基準を示したもの。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「塵芥集」の解説

塵芥集
じんかいしゅう

1536年(天文5)4月,陸奥国の戦国大名伊達稙宗(たねむね)によって,領国支配体制の整備をはかる施策の一環として制定された分国法。条数は伝本により若干の違いがあるが,約170カ条にのぼり,現存する分国法のうち最大の法典である。前書き,本文,稙宗の署判,家臣起請文(きしょうもん)という体裁が「御成敗式目」とおおむね一致し,本文の内容・文言も条文と一致するものがあること,さらに家臣の起請文が式目付載の起請文をほぼそのまま和文化したものであることなどから,法典全体が式目をモデルに制定されたとみられる。ただし実質的な内容には,慣習法の採用なども多く,式目との継受関係は濃いとはいえない。「日本思想大系」所収。

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旺文社日本史事典 三訂版 「塵芥集」の解説

塵芥集
じんかいしゅう

戦国時代,伊達氏の分国法
1巻。1536年奥州の戦国大名伊達稙宗 (たねむね) が制定。170条。分国法中最大のもので,あらゆる事柄が規定されているという意味からこの名がある。形式・体裁などは御成敗式目にならっているが,内容は伊達氏の分国の実情に即した独自なものが多い。

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世界大百科事典(旧版)内の塵芥集の言及

【蔵方之掟】より

…1533年(天文2)3月13日,戦国大名伊達稙宗(たねむね)が発布した質屋に関する法令。13ヵ条よりなり,3年後に制定された分国法《塵芥集》に付記されたかたちで伝存する。内容は,質の約月の規定,質屋が質物を紛失・損傷した場合の規定,盗物を質物とした場合の規定,利子規定などである。…

※「塵芥集」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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