諏方国(読み)すわのくに

山川 日本史小辞典 改訂新版 「諏方国」の解説

諏方国
すわのくに

奈良時代の一時期に信濃国南部を割いておかれた国。721年(養老5)6月に分置され,731年(天平3)3月信濃国に再併合された。美濃按察使(あぜち)の管轄にあり,中流(ちゅうる)の国とされた。国の範囲は明らかでなく,諏訪伊那2郡のほか,筑摩(ちくま)郡・安曇(あずみ)郡を含めるなど説がわかれる。国府所在地も諏訪郡説・筑摩郡説がある。諏方国分置は,国の建置が頻繁に行われた全国的な動向一環で,信濃国南部が国府から遠隔であったことや,諏訪地域が諏訪大社中心とする文化的特殊地帯であったことが背景にあったとされる。

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百科事典マイペディア 「諏方国」の意味・わかりやすい解説

諏方国【すわのくに】

721年―731年の間,信濃(しなの)国を割いて設置された国。範囲は諏訪・伊那(いな)両郡のほか,国府所在地ともども諸説がある。分国の背景は諏訪大社を中心とする文化的・信仰的な特異性なども指摘されているが不明。
→関連項目信濃国

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「諏方国」の意味・わかりやすい解説

諏方国
すわのくに

古代長野県の諏訪地方にあった国。『続日本紀』によれば養老5 (721) 年に信濃国を分けておかれ,天平3 (731) 年再び信濃国に合併された。この地は諏訪湖畔の諏訪大社を中心とし,その社家大祝 (おおはふり) ,のち諏訪氏に支配され,諏訪郡は神郡的色彩が強かった。

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