令制中央諸官司が領有して雑費にあてた田地。757年(天平宝字元)が初見。879年(元慶3)畿内5カ国に元慶(がんぎょう)官田とよばれる4000町の官田が設置され,881年にここから1235町余が諸司に配分されたために,諸司田は著しく増大した。大和国の諸司田は,興福寺にその雑役分を,諸司に地子(じし)を納めていることから,諸司田は一般に地子田であったと考えられている。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…闕官田は公力を用いて耕作された。令制下では傔仗(けんじよう)や按察使(あぜち)等にも支給されたが,757年(天平宝字1)には大学寮,雅楽寮,陰陽寮等の官庁に支給する諸司田としての公廨田が設置された。【吉村 武彦】。…
※「諸司田」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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