8世紀初頭の大宝令における田制の一つ。在外諸司の大宰府官人と国司の史生(ししよう)以上に支給された田地。ただし,これは公廨(官庁)ではなく,官職に対して支給されたので,実質的には職田(しきでん)と区別がなく,養老令ではともに職分田(しきぶんでん)と呼ばれた。公廨田は不輸租田である。大宰府の官人には官職に応じて10町~6段,国司には2町6段~6段の範囲で支給された。公廨田には田の面積に応じて,大宰府は帥(そち)の20人から史生の2人まで,国司は8~2人の事力(じりき)が与えられた。事力は公廨田の耕作に1年交替で従事する正丁で,庸が免除された。したがって,公廨田の経営は直接的経営と規定できる。令制では官人の交代以前に種(う)えれば,前任者に占有権があるが,724年(神亀1)以降は5月以降に新任者が赴任すれば,前任者のものになった。闕官田は公力を用いて耕作された。令制下では傔仗(けんじよう)や按察使(あぜち)等にも支給されたが,757年(天平宝字1)には大学寮,雅楽寮,陰陽寮等の官庁に支給する諸司田としての公廨田が設置された。
執筆者:吉村 武彦
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「くげでん」とも読む。公廨とは官衙(かんが)を意味する。したがって公廨田は本来その田からの収入をもって官衙の用にあてる田を意味するが、わが律令(りつりょう)制では一部官人の俸禄(ほうろく)にあてる田として規定された。
(1)律令制下の広義の職田(しきでん)(職分田)の一種で、大宰府(だざいふ)や国司など在外諸司の官人に支給された田。大宝令での名称。養老(ようろう)令では、この在外諸司公廨田、大納言(だいなごん)以上職田、郡司(ぐんじ)職田の名称をすべて職分田と統一したが、養老令施行後も職分田の名称は用いられたことはない。不輸租田。大宰帥(そち)の10町を最高とし、諸国史生(ししょう)の6段を最低とする。その後、按察使(あぜち)その他の在外諸司にも支給。
(2)奈良時代後半になると、雅楽(うた)寮などいくつかの官司には勧学や尚武のためその財源として官司付属の田を設定したが、これも本来の字義に従って公廨田とよばれた。平安時代に入ると、律令財政の逼迫(ひっぱく)のため、このタイプの公廨田からの収入は、官人の人件費や一般的支出にあてられるようになった。
[虎尾俊哉]
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…8世紀初頭の大宝令制で,中央の太政大臣・左右大臣・大納言に,その官職に応じて40~20町の範囲で支給した田地,および郡司に支給した郡司職田のことをいう。養老令では,これら職田と在外諸司の大宰府官人および国司に与えられた公廨田(くがいでん)を含めて,職分田(しきぶんでん)と称する。実質的には職田と公廨田は区分がなく,職分田と同一と考えられる。…
※「公廨田」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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