日本歴史地名大系 「諸町」の解説 諸町もろまち 大分県:中津市中津城下諸町[現在地名]中津市中津 諸町・外馬場(そとばば)上勢溜(かみせいだまる)から西へ真っすぐ榎口(えのきぐち)御門に通じる両側、諸職人の町。西側には武家屋敷が並び、その西に広津口(ひろつぐち)御門があり、上外馬場から船渡しに続く。享保四年(一七一九)は軒数八三・竈数七九。前年の殿(との)町出火で二八軒・四二竈を類焼している。安永六年(一七七七)は空家一、文化二年(一八〇五)は軒数八四・竈数七七、空家五、宮地一(恵比須宮)、御用地一とある(惣町大帳)。宝暦九年(一七五九)町医から御医師に召抱えられた辛島正庵は、諸役目一代御免となったため、諸町中でその屋敷二軒分の諸役目を勤めてきたが、辛島玄桂も同様になったので、町年寄から町奉行へ「向後、左様之数も町場ヘ出来候得ハ、其町斗之難渋ニ罷成候」と申上げたところ、今後は決してそのようなことはしないという返事であった。 諸町もろまち 愛知県:名古屋市中区諸町[現在地名]中区丸の内(まるのうち)三丁目京(きよう)町の東、中市場(なかいちば)町の西にあり、伊勢(いせ)町筋と大津(おおつ)町筋との間の一丁をさす。清須の片(きよすのかた)町が慶長一五年(一六一〇)名古屋へ移った。南側だけが町屋づくりのところから、片町の名称をそのまま用いた。元和二年(一六一六)北側にも町屋ができて両側となったため諸町と改称。町号改変は寛永三年(一六二六)八月ともいう(府城志)。氏神は那古野(なごや)神社。寛延元年(一七四八)七月一六日、右筆本多五左衛門の嫡子藤十郎が同町を通行中、竹腰家の下僕に悪口を浴び、脇差を抜いて飛びかかられた。 諸町もろちよう 東京都:江東区旧深川区地区諸町[現在地名]江東区永代(えいたい)一丁目富吉(とみよし)町の南にある町屋。南は相川(あいかわ)町、東は油(あぶら)堀の枝川に面する。深川諸(ふかがわもろ)町とも称した。寛永六年(一六二九)成立した深川猟師(ふかがわりようし)町八ヵ町の一。はじめ開発者諸彦左衛門の名をとって彦左衛門町と称した。漁業を許可された代りに御菜肴の上納や役船などの諸役を勤める無年貢地であったが、寛文一〇年(一六七〇)より年貢地。元禄八年(一六九五)再検地の際に諸町と改めた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by