豊竹鐘太夫(読み)とよたけ・かねたゆう

朝日日本歴史人物事典 「豊竹鐘太夫」の解説

豊竹鐘太夫(初代)

没年:安永4.1(1775)
生年享保10(1725)
江戸中期の義太夫節太夫。元は大坂釣鐘町の硯石商。豊竹上野少掾(竹本大和掾)の門弟。延享4(1747)年,豊竹座初出座か。のち,竹本座や堀江の芝居にも出勤,江戸に下ったこともある。無類の大音で美声といわれた。明和年間(1764~72)に勤めた「嬢景清八島日記」の「日向島の段」,「本朝廿四孝」の「十種香の段」,「太平記忠臣講釈」の「喜内住家の段」,「近江源氏先陣館」の「盛綱陣屋の段」といった,傾向の異なる曲に特色を残すという。全体に大きく間を取って語るのが「鐘太夫風」といわれ,今もそうした表現法で伝承される。生没年については,享保15(1730)~安永8.8.20(1779.9.29)説もある。

(高木浩志)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「豊竹鐘太夫」の解説

豊竹鐘太夫(初代) とよたけ-かねたゆう

1730-1779 江戸時代中期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
享保(きょうほう)15年生まれ。大坂の人。義太夫節の豊竹筑前少掾(ちくぜんのしょうじょう)の弟子。延享4年ごろ豊竹座に初出演,宝暦元年立者にすすむ。のち竹本座にうつり,一時江戸へもおもむいた。大音で鐘太夫風といわれる語り口をのこす。安永8年8月20日50歳(異説に安永4年1月46歳,または51歳)で死去

豊竹鐘太夫(2代) とよたけ-かねたゆう

?-? 江戸時代中期-後期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
大坂の人。義太夫節の2代豊竹此太夫(このたゆう)の弟子。豊竹伊太夫,竹本鐘太夫をへて,寛政3年(1791)2代を襲名。北堀江市(いち)の側(かわ)の芝居で立者をつとめる。文化(1804-18)の末年に没したといわれる。通称は重兵衛。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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