費丹旭(読み)ひたんきょく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「費丹旭」の意味・わかりやすい解説

費丹旭
ひたんきょく
(1801―1850)

中国清(しん)代の画家。字(あざな)は子苕(しちょう)、号は暁楼(ぎょうろう)・偶翁(ぐうおう)・環渚生(かんしょせい)・環渓(かんけい)。烏程(うてい)(浙江(せっこう)省呉興)の人。美人画において同時代の改琦(かいき)と並び称されるが、陰影を施した西洋技法による肖像画も卓抜しており、ほかに山水、花卉(かき)なども描いた。初め上海(シャンハイ)、蘇州(そしゅう)などで売画生活を送っていたらしいが、32歳のとき湯貽汾(とういふん)の推薦で杭(こう)州の汪(おう)氏の振綺堂(しんきどう)の客となり、『東軒吟社図巻』を描く。汪遠孫(おうえんそん)の主催するこの東軒吟社で、費丹旭は詩詞と書に磨きを加えた。その間、しばしば海寧硤石(かいねいきょうせき)の蒋光煦(しょうこうく)の別下斎(べっかさい)に寄寓(きぐう)し、1844年(道光24)翻刻の『陰隲文図証(いんしつぶんずしょう)』の挿図を描いた。著に『依旧草堂遺稿(いきゅうそうどういこう)』がある。

[近藤秀実]

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改訂新版 世界大百科事典 「費丹旭」の意味・わかりやすい解説

費丹旭 (ひたんきょく)
Fèi Dān xù
生没年:1801-50

中国,清代後期の画家。字は子苕(しちよう)。号は暁楼,環溪,環渚生,偶翁など。烏程(浙江省呉興)の人。はじめ上海に住み,ついで蘇州に移り,32歳以後は杭州で売画の生活を送った。人物山水,花卉(かき),肖像画を描いたが,なかでも仕女図を最も得意とする。49歳で肺病で没し,長子の費以耕(字は余伯)が家業を継いだ。費丹旭は詩をよくし,詩集に《依旧草堂遺稿》がある。
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百科事典マイペディア 「費丹旭」の意味・わかりやすい解説

費丹旭【ひたんきょく】

中国,清末の画家。字は子【ちょう】(しちょう),号は暁楼,環渓。肖像画,特に美人画を得意とし,山水,花卉(かき)も描き,画風は〈軽清淡雅〉と評された。美人画は,背景に自然の一角を写した〈補景仕女図〉で,樹石などの描法【うん】寿平影響がみえる。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「費丹旭」の意味・わかりやすい解説

費丹旭
ひたんきょく
Fei Dan-xu

[生]嘉慶6(1801)
[没]道光30(1850)
中国,清末の画家。烏程 (浙江省) の人。字は于ちょう,号は暁楼,環渓。肖像,山水,花卉などをよく描いたが,ことに美人画にすぐれた。著書に詩集『依旧草堂遺稿』がある。

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世界大百科事典(旧版)内の費丹旭の言及

【改琦】より

…祖先は西域人であるが,武官として仕えて江蘇華亭に戸籍を移した。詞に優れ,惲寿平(南田)風の花卉(かき),仇英・唐寅風の細密な山水画も善くしたが,本領は優美な線描を駆使する美人画にあり,やや遅れて活躍する費丹旭と並んで清朝美人画を二分している。小説《紅楼夢》の挿図によって広く知られている。…

※「費丹旭」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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