賀太庄(読み)かだのしよう

日本歴史地名大系 「賀太庄」の解説

賀太庄
かだのしよう

古代の賀太郷(和名抄)に成立した荘園加太かだを中心に大川おおかわ深山みやま日野ひの本脇もとわき磯脇いそわきの地域を荘域にしたと思われ、北・西・南の三方を海に囲まれ、北東部を和泉国と接する。平安中期頃の「賀田村」には東大寺領の塩山二〇〇町があったが(天暦四年一一月二〇日付「東大寺封戸庄園并寺用帳」東南院文書)、ここでいう賀太庄との関係は不明。

荘名は「為房卿記」永保元年(一〇八一)九月二六日条に「今日、経国府南路故、参日前・国(ママ)両社奉幣、酉剋、着藤代人宿、吉志庄・賀太庄送種々物」とみえ、建長五年(一二五三)一〇月二一日付の近衛家所領目録(近衛家文書)の「庄務無本所進退所々」の一に「京極殿領内紀伊国賀太庄信範卿女子建礼門院内侍得父譲」とある。また承久四年(一二二二)二月二一日付茂木知基所領譲状(茂木家文書)に「紀伊国賀太庄」がみえ、正嘉二年(一二五八)一二月二日付の将軍家政所下文(同文書)によって茂木氏が有していたのは当庄の地頭職であったことが知られる。以降応永一一年(一四〇四)□月二五日付茂木知清譲状写(同文書)までの茂木家文書の譲状に当庄の名がみえ、地頭職が茂木氏に相伝されている。また刀禰公文職は代々当地の向(向井)氏によって受継がれており、関係文書が向井家文書として伝来する。向氏は賀太庄刀禰公文職のほか、荘内にあった伽陀かだ寺別当職・神主職なども有していた(大永五年六月二三日「向景義刀禰公文職等譲状」向井家文書、以下向井家文書については個別文書名のみ記す)

当庄は本庄新庄に分れており、享徳四年(一四五五)二月吉日付賀太本庄年貢等注進状によると、本庄の小区分地名として賀太・磯脇・深山・井宇・大河日野という地名がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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