日本歴史地名大系 「賀太庄」の解説
賀太庄
かだのしよう
古代の賀太郷(和名抄)に成立した荘園。
荘名は「為房卿記」永保元年(一〇八一)九月二六日条に「今日、経国府南路故、参日前・国
当庄は本庄と新庄に分れており、享徳四年(一四五五)二月吉日付賀太本庄年貢等注進状によると、本庄の小区分地名として賀太・磯脇・深山・井宇・大河・日野という地名がみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
古代の賀太郷(和名抄)に成立した荘園。
荘名は「為房卿記」永保元年(一〇八一)九月二六日条に「今日、経国府南路故、参日前・国
当庄は本庄と新庄に分れており、享徳四年(一四五五)二月吉日付賀太本庄年貢等注進状によると、本庄の小区分地名として賀太・磯脇・深山・井宇・大河・日野という地名がみえる。
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