赤坂一ッ木町(読み)あかさかひとつぎちよう

日本歴史地名大系 「赤坂一ッ木町」の解説

赤坂一ッ木町
あかさかひとつぎちよう

[現在地名]港区赤坂二丁目・同四―六丁目・同八丁目

赤坂の台地にかかる東斜面の裾を主とする伊賀者への給地。文政町方書上によると多くの飛地をもつ片側町で、主体部は東が元赤坂もとあかさか町代地、赤坂新あかさかしん町一―二丁目、西が幕臣邸地と氷川明神旅所・竜泉りゆうせん寺・威徳いとく寺・清巌せいがん寺、南が小普請組支配小沢邸・浄土寺、北が道を隔てて赤坂表伝馬あかさかおもててんま町一―二丁目。飛地は浄土寺東角(現赤坂五丁目)、浄土寺脇横町(現赤坂五丁目)深尾七右衛門・梶川庄兵衛屋敷に付く部分(現赤坂二丁目)南方武家屋敷に囲まれる部分(現赤坂六丁目)麻布今井あざぶいまい町続き部分(現赤坂八丁目)である。往古は豊島郡人継ひとつぎ村と唱えて山畑だったが、徳川家康入部の際伊賀衆一四〇人に給地され百姓町住居になり、鷹次役を勤めて延宝三年(一六七五)から一ッ木村と書改めたと伝える(→一ッ木村。元禄九年(一六九六)町奉行支配となり鷹次免除、町並の自身番屋火消役を命じられ、一ッ木村も一ッ木町と改めた。ただし伊賀衆の給地で、年貢を差出すのは五ヵ所に離れた町方である。

間数南北が表京間延べ一二二間余・裏幅同一二一間余、ただし寺院門幅と横町の間数を除く。東西は裏行が南方京間四間・中ほど同一五間余・北方同四間余、一千二六六坪。ただし往還道幅(四間―二間)の半分が町内持。このうちに氷川明神旅所と町並年貢地と寺院境内が隔たってある。飛地のうち浄土寺東角は南北が表・裏幅とも京間一七間余、東西は裏行が南方同六間・北方同二間、ただし町屋側の道幅半分が町内持。浄土寺脇横町は東西が表・裏幅とも京間四三間余、南北は裏行が西方京間三間余・東方同一三間。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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