赤蔵山(読み)あかくらやま

日本歴史地名大系 「赤蔵山」の解説

赤蔵山
あかくらやま

三引みびきの南西部にある標高一七九メートルの山で、中能登における霊山信仰の拠点であった。赤倉山と記されることもあった。江戸時代前期成立の能州赤蔵山縁起(赤倉神社文書)によれば、天平二年(七三〇)聖武天皇の皇子眼病を患った際、母の夢枕に老翁が立って能州赤蔵山の大権現に祈れば平癒するであろうと告げた。そこで天皇は大和多武峯の定恵の高弟愚淵を赤蔵山に遣わし、仮壇を設けて法華会を修したところ霊験がたちどころに現れ、眼病は癒えた。天皇はその霊感に深謝し、愚淵を当山にとどめ、諸堂を建立して社領を寄進したと伝える。観応二年(一三五一)八月一八日足利尊氏方の吉見氏頼軍が、越中から乱入した足利直義方の桃井直信勢と戦うため立籠った三引保の赤蔵寺は当山の別当寺で、南北朝内乱期には能登の守護勢力と結ぶ一大勢力を形成していた。

赤蔵山
あかくらやま

志雄町東部にあり、標高約三三〇―三七〇メートル。砂岩質の原御前はらごぜんから一段下った北東斜面の台地をさす。新宮しんぐう川源流地の原御前とともに口能登の山岳信仰の一拠点であった。正長元年(一四二八)六月、新宮川上流域の山林伐採をめぐって気多神社神官・社僧と志雄保地頭飯尾重清の代官和田紹賢との間に相論が起こったが、その時の気多社神官供僧訴状案(気多神社文書)に「山野奥ハ赤蔵神林、麓ハ新宮林」「赤蔵祓殿之坂」がみえ、赤蔵山に祓殿をもった赤蔵権現の本宮があり、麓に新宮のあったことがわかる。赤蔵権現は白山系修験に属したといわれ(志雄町史)祭神は素盞嗚命で多くの真言系の坊舎があったという(羽咋郡誌)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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