赤野井別院(読み)あかのいべついん

日本歴史地名大系 「赤野井別院」の解説

赤野井別院
あかのいべついん

[現在地名]守山市赤野井町

赤野井御坊とも称された。近世初期の本願寺の東西分派に伴い二つに分れたと考えられ、現在は浄土真宗本願寺派の本願寺赤野井別院と真宗大谷派赤野井別院がある。

〈近江・若狭・越前寺院神社大事典〉

〔草創・蓮淳の入寺〕

暦応年間(一三三八―四二)存覚の草創と伝え、異本反古裏書(龍谷大学蔵)に「赤野井(中略)これは存覚上人御代よりの御坊跡なり」とみえるが、蓮如期までの動向はつまびらかではない。「本願寺誌要」によれば、文正年間(一四六六―六七)専念せんねん寺観教が南北六八間・東西四三間の土地を蓮如に寄進、存覚の旧跡として一宇再建され蓮淳(蓮如の息男)に与えられたというが、寺蔵の親鸞絵伝は寛正五年(一四六四)五月一四日に蓮如より下付されており、裏書には「江州野洲南郡赤野井惣門徒中常住物也」とあることから、それ以前すでに赤野井惣門徒によって護持されていたと思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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