日本歴史地名大系 「越戸村」の解説
越戸村
こしどむら
越戸村
ごうどむら
上田市西部と東流する
天正六年(一五七八)の上諏訪造宮帳(諏訪大社上社文書)の「二之御柱 小県郡浦野庄」の項に「高津郷仁貫文」とある高津郷とは「越戸郷」のことで、これが初見である。翌七年の同帳にも「高津之郷、正物仁貫百文云々」とみえる。
慶長五年(一六〇〇)の地寄之覚帳(越戸区共有)の末尾に「惣都合二拾七貫七百二拾四文」とある。真田氏支配の慶長一三年上田領最初の貫高帳(大井文書)には「百二拾七貫四百六拾五文 越戸」とあり、仙石氏の元和八年(一六二二)上田領高石帳(仙石文書)によれば「百二拾七貫七百二拾四文、高三百拾五石四斗七升八合」とあり、これが以後の村高となった。
越戸村
おつとむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報